構造生物 Vol.1 No.1 1995年9月発行

挨拶 

サイエンスの真髄

江崎 玲於奈(筑波大学・学長)


 皆さん、学長の江崎でございます。今日は、TARAプロジェクトの一つの大きな柱であります「放射光X線による生命機能維持物質の結晶構造解析と利用基盤に関する研究」のために、筑波大学に来られましたことを心から歓迎申し上げたいと思います。放射光X線による蛋白質の解析は、サイエンスの歴史におきまして非常に重要な役割を演じたことは申すまでもございません。サイエンスというものの中には、マクロのサイエンスとミクロのサイエンスが有るように思われます。物理学の分野では、量子力学が20世紀のはじめに発展いたしまして、ニュートンの物理学というのは、基本的にはマクロの物理学でありますが、ミクロの物理学は、物質を構成する分子、原子、電子等に基づいて色々な現象とか性質を説明しようとするものであります。ミクロの宇宙を構成する基本的な粒子の行動は、古典力学ではとても説明できないということで、量子力学が発展して来た歴史がございます。

 この坂部プロジェクトは、皆さんご存じだと思いますが、研究代表者の坂部先生が昨年4月1日に高エネルギー物理学研究所から本学に赴任されましてから、本格的な準備が開始された次第でございます。配付資料にございますように、坂部先生を中心に、筑波大学、高エネルギー物理学研究所、それに多くの企業の関係者の方々の努力が実りまして、正式にこの4月からTARAプロジェクトとして発足した次第でございます。本プロジェクトの特色は皆さんもご存じのように、世界的に評価を得ている高エネルギー物理学研究所の放射光実験装置に、TARA專用のビームラインを企業などから資金の協力を得て建設し、多くの蛋白質の構造解析を行おうとするものでございます。こういう分野は、やはり世界的な競争がございまして、ブルックヘブンというところに放射光実験施設があります。これは、つくばの高エネルギー物理学研究所より若干、古いかもしれませんが、私が前におりました会社IBMもいち早く専用ビームラインをそのブルックヘブンに持ちまして、色々な実験をやった次第でございます。

 坂部プロジェクトは、TARAの理念でございます産・官・学の有効な連携という形で、色々な研究を本格的に進めていくTARAセンターに大変ふさわしいプロジェクトだと思っております。

さて、サイエンスの二面性について(Dua1ity in science)のエッセイのようなものを皆様にお配りいたしました(次頁参照)。その中でアインシュタインは次のように言っております。"If you want to know how scientists operate,don't listen to what they say but rather look at what they do."アイシュタインが何を告げているのかを少し皆さんと考えたいと思います。まずサイエンスというのは、やはりコインに表裏があるように二つの面がある’という訳ですね。一つは論理的、客観的、理性的、冷静で、厳密な、いわば、ロゴス的な面。これは教科書などにも表れる面でございまして、いわば仕上げられた結果で、皆さんのような学者が講演会などで胸を張って発表する所のものでございます。アインシュタインは、ちょっと極端ですが、そういったものは聞く必要なしと言っているのですね。もう一つの面は、何か新しい成果が生まれる創造のプロセス。これはかなり、主観的で、個性的で、創造性が豊かで、パトス的な面だというわけです。科学者というのはもちろん、非常に鋭い知性のもとに研究を進めるのですが、時には直感と霊感を煩りに暗中模索、悪戦苦闘、試行錯誤をくりかえします。私なんかも経験がございますが、たまにはやっと幸運に恵まれて、ぱっと視界が開けるという非常に歓喜する経験があるわけです。アインシュタインは、これこそサイエンスの真髄であり、科学者が仕事をする側面をよく観なさい、と言っているわけです。ある人は、このロゴス的な面、要するにロジカルな面を"day science"と呼び、それに対して、イマジナテイブな面は"night science"と呼んでいるのです。もちろん両者あいまってサイエンスが発展する訳ですが、大発見とか新理論というのは、いつもこの"night science"から生まれるものなのです。TARAでは"night science"を活発にしていただきたい、ということを申し上げて私の挨拶といたします。どうもありがとうございました。

 

江崎玲於奈(えさきれおな)先生の御略歴 

1925 出生地大阪府

1947 東京大学理学部物理学科卒業。

   神戸工業株式会社入社

  1. 東京通信工業株式会社(現在のソニー)入社

 1957 トンネルダイオードを発見 

 1959 理学博士(東京大学・専攻、固体物理学)

 1960 米国IBM中央研究所・特別研究員

 1975 米国ペンシルヴァニヤ大学客員教授、日本学士院会員

 1992 筑波大学・学長、現在に至る

受賞

 1973 ノーペル物理学賞(半導体内及び超伝導体でのトンネル現象に関する実験的発見)

 1974 文化勲章

    このほか、仁科賞(1959)、朝日賞(1960)、東洋レーヨン科学技術賞(1960)、  

    米国IREモーリス・リープマン賞(1961)、フランクリン協会スチュアード・

    バレンタイン賞(1961)、日本学士院賞(1965)、IEEE協会百年記念メダル

   (1984)、米国物理学会国際賞(1985)、IEEE協会・IEEE栄誉賞(1991)等を受賞

著書 :創造性への対話(1974・中央公論社)、トンネルヘの長い旅路(1974・講談社)

   アメリカと日本(1980・読売新聞社)、想像の風土(1984・読売新聞杜)

   個人人間の時代(1988・読売新聞社)、個性と想像(1993・読売新聞社)