構造生物 Vol.1 No2
1995年12月発行

坂部構想による「構造生物学センター」への思い


田仲可昌

筑波大学・生物科学系

My hopes and expectations from the "Structural Biology Center" proposed by Prof. Sakabe

Yoshimasa TANAKA Institute of Biological Sciences University of Tsukuba

In this short essay, I develop several points for the implementation and fruition of the "Structural Biology Center" proposed by Prof. Sakabe, in particular, on the neccesity of gene manipulation facilities and on a building structure which encourages active discussion among researchers.

私は、このたび、TARA坂部プロジェクトにTARA研究員として参加させていただい た、筑波大学生物科学系の田仲可昌(たなかよしまさ)です。

人生、まことにわからないものです。私自身はTARA構想に関する説明会などに出 席はしていましたが、「私が入り込める余地はないだろう」と思い、遠くから眺め ていただけでした。TARA研究員になった経緯は省略するとして、私自身、タンパク 質の3次元構造の重要性は十二分に認識しています。それは、今をさかのぼること 17年前に、いわゆる構造学派のメッカと言われる、英国のMRC分子生物学研究所に 留学した時からです。私自身は、タンパク質核酸化学部門(F. Sangerが部門長)で、 DNAの塩基配列決定に、あるいは、RNAの配列決定法の改良にたずさわりました。 また、1980年3月の帰国を前に3ヵ月間、Sangerが開発したDNA塩基配列決定法、 いわゆる、Sanger法(またはジデオキシ法、酵素法)を、おそらく、日本人では初 めて習った者であると思います。当時、この部門には、senior staffとして、Mono c1ona1 antibody で1984年にノーベル賞を受けたCesar Mi1stein、膜タンパク質の 一次配列の決定をやっていた John Wa1ker、核酸の化学合成のMike Gait、また、 ヒト・ミトコンドリアDNAの塩基配列決定の中心的人物であったB. Barre11らがい ました。また、visiting Professorとしては、ハンマーヘッド型リボザイムの第1 人者のR. Symons, ポストドクとしてはProtein engineeringを早くから始め、 phage antibodyを開発したGreg. Winter(私と同室)、大学院生としては最近酵母 でtwo hybrid systemを開発したStan Fie1ds (現在米国、私と同室)などが、特 に印象的です。そのような環境において、遺伝情報の大切さだけでなく、3次元構 造の情報の重要性を感じるようになっていました。これは、当時、この研究所に滞 在中の森川秋右(もりかわこうすけ)さんとの交流が大いに関係しています。(余 談になりますが、ここでの2年間の滞在中、森川さんとの討論でいつも落ち着く結 論は、「10年、20年先を見越したテーマをやるべきだ。もっと、馬鹿なこと(他人 から見たら、途方もないようなテーマという意味)をやるべきだ」ということでし た。現在の私がそれをやっているか否かは、別問題ですが)。そのようなわけで、 タンパク質の3次元構造の大切さは十分に承知していますし、私自身、一生に1つ は、何か興味深いタンパク質の3次元構造を決定したいと思いつつ、「機会がない かなあ」と思っていたところでした。そのため、日頃から、「タンパク質の結晶化」 について興味を持っていましたし、何かと「結晶化」について気をつけていました。 さて、前置きはこのくらいにして、坂部先生の「構造生物学センター」の構想に 関する文を読み、感じたことを述べてみたいと思います。まず第一に、この様なセ ンターが公的な機関としては日本に1つもないことやこの分野が最近とくに産官学 から期待されていることから、まことに「時期」を得た提案であると思います。ま た、筑波の地に作るということは、これまた、まことに「場所」を得た提案でしょ う。さらに、坂部先生の構想力には、お世辞ぬきで感服いたしました。本当にきめ 細かな点まで、よく練られている構想なので、私の力では、付け加えるべき新しい 視点は全くありません。しかし、強調したい点は2,3ありますので、それを書きま す。

1つは、先生も書いておられるように、「センター内に、遺伝子組換え実験が出 来るような設備が必要性であること」です。今後は、野性型のタンパク質だけでな く、変異型のタンパク質の3次元構造解析を通して、その機能をより本質的に理解 してゆく方向に進むと思われますし、そのうえ、微量しか存在しないタンパク質の 構造解析には遺伝子組換え実験は必須です。必要な大型の設備は、1)多くのP2の 部屋と、2)大量培養装置(微生物用、動物培養細胞用、植物培養細胞用で、後の 2つは大腸菌では調製できないタンパク質のために使います)、3)DNAオートシ ークェンサー(これは改変した遺伝子が正しく作成されているか否かを調べるのに 必要です)、4)ペプチドシークェンサー(大量調製したタンパク質が正しくプロ セシングされているか否か、本当に目的のタンパク質かを調べるのに必要です)で す。欲を言えば、5)細胞生物学的なことを調べる機器、例えば、共焦点レーザー 顕微鏡を中心にした細胞内微量成分測定装置(変異タンパク質が細胞内でどのよう に挙動するかを調べるのに必要です)などです。

ここで、話はすこしずれますが、分子生物学者の私から見た「タンパク質の結晶 作成」の考えを述べてみたいと思います。それは、あるタンパク質を結晶化するの に、遺伝子操作を用いて、そのタンパク質に結晶性の良いタンパク質を融合させて やり、結晶化しやすいタンパク質の助けを借りて、一緒に結晶化させてしまうとい う方法です。それには、相性があるでしょうから、発現ベクターのなかに色々な種 類の、結晶性の良いタンパク質を組み込んでおき、目的に応じて選択して使用する わけです。結構可能性はあると思うのですが。それとも、そんな考えばもう当たり 前のことでしょうか。

また1つは、「建物の設計」についてです。食堂を作るのはそのセンターの規模 にもよりますから、これはすこし難しいと思います。しかし、喫茶風の談話室は是 非欲しいのです。それは、次のような理由によります。MRC分子生物学研究所には、 屋上に食堂があるのですが、そこは、いわゆる、お茶の時間、昼食、コーヒーの時 間に皆が集まって、異分野の研究者と意見を交換しあえる場所になっていることで す。私は日頃、学生に「異分野の人と討論しなさい。自分の研究の問題点、興味深 い点を話しなさい。逆に、異分野の研究者の研究について質問し、どこが面白いの か、どんな問題点があるのかを聞きなさい」と言っています。私自身も、学生と討 論することによってはじめて、問題の解決法がハッと浮かんでくることや、その研 究の新しい方向がイメージできるようになったことを、何回も経験しています。MRC 分子生物学研究所の華々しい研究成果は、エポックメイキングな研究テーマが思 い浮かぶ、そのような環境が用意されていることと非常に関係していると思われま す。また、「建物の設計」に関して、もう一つの重要なことは、出来るだけ共通の 部屋にして共通の実験機器をいれて、人がある部屋に落ち着いてしまうことをしな いようにすることです。

また1つは、「分析機器の共同利用」を挙げたいと思います。これは、「建物の 設計」とも関係しますが、実験機器は個人が買ったものであっても出来るだけ共通 の部屋に入れる、あるいは逆に、実験機器はほとんどをセンターの方で用意するよ うな状況が出来ればさらに良いと思います。そして、可能なかぎり、実験機器を共 同利用することです。小グループで色々な機器を購入して、それを後生大事に長い 間使うシステムでは、現在、一年ごとに新しいコンセプトによる分析機器が出現す る時代にはとても対応できないでしょう。研究者によっては、新しい機器に振り回 されるのは、本末転倒であるという考えを持っていらっしゃる方も、ままいらっしゃ います。しかし、たとえば、細胞生物学の分野では、共焦点レーザー顕微鏡は驚異 的です。これに各種の周辺機器を加えた、各種の細胞内成分や分子を定量できるシ ステムは、この分野に新しい考えを提供しつつあります。

この分析機器の使用に関して、もう一つ考えなければならないことは、「それら の機器を操作できる専門のエキスパートの確保」です。今後の日本の科学を考えた 時、この点が大きな問題点になると思います。特に、今後の分析機器はコンピュー ター化され、システム化されますので、その保守点検を考えただけでも、このこと は重大です。

最後に、センター内での、小グループの閉鎖性(講座性のような体制)は、どう しても回避するような体制を考えたいものです。センター内での、情報の自由な交 換と、何か良いアイデアが浮かんだ時に、すぐに共同研究などで実行可能な組織で あって欲しいものと思っています。

私の夢は、日本でも、英国のMRC分子生物学研究所のような体制と実力を持つ研 究所が1日も早く、1つでも多くできることです。そして、「構造生物学センター」 がそのモデルとなれば、と思っています。


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