構造生物 Vol.1 No2
1995年12月発行

ユーザーから見たタンパク質結晶解析のための放射光利用


津下英明

JT/Agouron製薬

Random Walk around SR Facilities in the World

JT/Agroun Hideaki TSUGE

I had a chance to visit several SR facilities for the data collection of a protein crystal diffraction around the world including CHESS, ESRF, NSLS and KEK-PF. From the view of a industrial user of the SR facilities I present the impression of the short visit of each facility. Additionally my personal idea on the future SR facility is discussed based on my experience of the data collection at the SR facilities.

1. はじめに

蛋白質構造解析を中心にした製薬ベンチャーであるアメリカ、サンディエゴにあ るAgouron製薬に赴任したのが94年7月、早いもので一年が過ぎました。この約 一年間の間に、高エネルギー物理学研究所(計2回)を含めてCHESS,ESRF, Brookhavenと計4つの蛋白質結晶解析用ラインを使う機会に恵まれました。大の 旅好きであった私ですが、この一年の間、結晶のシンクロトロン宅急便のような仕 事でやや辟易しています。とはいえ非常に良い経験だったのも事実です。最初に実 際に利用したそれぞれの放射光施設のタンパク質結晶構造解析のためのビームライ ンの一ユーザーとしての利用経験と感想、最後にこれからのタンパク質結晶構造解 析のためのビームラインヘ望む事を書きたいと思います。

2. 世界の様々なシンクロトロンを使って

(1)Corne11 High Energy Synchrotron Source CHESS

アメリカ東海岸のIthacaから車で30分位行くと美しいキャンパスを持つCornell Universityがあります。CHESSはこの中にあるひときわ目立つ古い建物です。 紅葉が青い空に映えていた秋のCornellは、四季のないサンディエゴとは対照的 で印象に残っています。Agouronが申請で得た時間は48時間。他のプロジェクト で24時間我々のグループが24時間を3人3人の計6人での回折データ収集とな りました。

我々の使用したF1ビームラインのデテクターは平面のフジのイメージングプレート(IP)が一回に6板セットでき順次露光されるようなっています。一枚一枚のIP は非常に重いフレームに収まっており、はずしたIPをマニュアルでフジの BAS2000イメージリーダーを使い読みとるわけです。

極低温実験を計画していたわれわれの要望に応じてすでにクライオはセットして くれていました。

入射は一時間に一回、すなわちビームが一時間の間に急激に減衰するということ です。このため、結晶への露光は1時間に2セット(IPで12枚)が限度となりま す。ニセット目の露光にはビームの減衰を考えて露光時間を延ばす工夫が必要です。 測定は振り角1度のオシレーション写真法で行い処理にはDenzoを使いました。大 変だったのはとにかくフレームがズシリと重く腕に負担がかかることと、測定中に ビームのロストが多くサイレンとともに何度も屋外に逃げる羽目になったことです。 そしてなにより、測定はマニュアルだという点です。といってもデータ収集の結果 として我々はネイティブおよびプラチナ(異常分散データを含む)の質の高いデー タを得ることができました。これはなによりの放射光を使ったメリットだと思いま す。

高エネルギー物理学研究所以外のシンクロトロンを使ったのは初めてでしたが、 夜から明け方にかけての測定の様子は万国共通、ここも例外ではありません。アメ リカの東海岸でも筑波でも、眠い目をこすりながらひたすらデータ測定、ついどこ にいるのか忘れてしまいました。

(2) European Synchrotron Radiation Facility ESRF

ESRFはフランスの山岳地方の中心、グルノーブルにあります。どこか学生時代 を過ごした札幌を彷佛とさせる周りの山並みが美しい街です。我々が訪れたのは3 月の初旬、まだ近くの山には雪が残り、スキーを楽しむ人たちでにぎわっていまし た。パリ経由でグルノーブルの空港からフランスの田舎の風景を楽しみながら、列 車で約一時間でグルノーブルの中心街に着きます。グルノーブルヘの他の入り方と してはスイス、ジュネーブから車で約2時間、こちらの方が便利との話です。街の 中心から車ですぐの所に近代的な施設を持つ、ESRFがあります。今回も我々(2 人)とAgouronの別の結晶解析のグループ(2人)と共同の24時間プラス24時 間の測定時間となりました。

ここは1994年9月に正式に一般ユーザーに対してオープンした施設です。利用するためには企業であるAgouronはお金を払わずには使えません。当然、日本の 企業も同じです。参考に94年の使用料を記せば、8時間あたり約7,000ドル、また 急ぎで測定時間が欲しいときにはさらに割高になり、例えば一ヶ月後の予約では約 10,000ドルとなります。使用料を払うことにより研究内容の報告の義務は免除さ れます。ペイすれば報告義務なしで使えると云うのは企業にとっては大きなメリッ トであると思います。ちなみにヨーロッパ共同体(スポンサーとなっている国)以 外のアカデミックサイトの利用条件は以下のようになっています。(1)科学的必 要性の高い研究(2)シンクロトロン技術にとり大きな利益となるもの、これ以外 にヨーロッパ共同体のグループとの共同研究にするという道があるようです。これ には当然報告の義務がつきます。

ビームラインのシステムはMarResearchのイメージングプレートデテクターシス テムをそのまま使用しています。メリットはなんと言っても結晶さえ仕掛ければ後 はオートマチックだという点です。これは少人数でも測定実験ができ、単純な人為 的ミスが減る事を意味します。またMarResearchのIPシステムはプログラムの使用 も含めて非常に使いやすく出来ています。ただMarシステムの弱い所はファイアン グルのスクリュウアップがたまにおこることであり、この点には注意を払わなけれ ばなりませんが。またBAS2000のような独立したIPリーダーを使ったシステムと 違いIPリーダーが一体となってIPが固定されいる商用システムをそのまま使ってい るため、ビームセンターの位置が一定となるのでDenzoを使ったイメージの処理も 非常に楽です。デメリットは露光時間に加えて読みとり・消去の約5分 (BigMar:30cmIP)がビームタイム中に見込まれる事です。自然、リーダーが独立 したシステムの様に短時間にまとめて露光しておくことは難しくなります。この回折データ収集ではやはり極低温測定の結果としてネイティブ(2.4Å)と新たな重原 子誘導体である水銀誘導体(2.7Å)の二つの質の高いデータを収集しました。 ところで我々が利用したビームラインとは別に現在、Soichi Wakatsuki氏が4つ のハッチを1997年の使用開始をめざして建設中です。一本はワイセンベルグで かつロボットを使い読みとりまでを自動化するとのことでした。非常に期待してい ます。日本の企業からも是非参加して欲しいとの事です。詳しく知りたい方は直接 Wakatsuki氏までお問い合わせください(E-mai1:wakatsuki@esrf.fr)。

(3) National Synchrotoron Light Source NSLS Brookhaven

Brookhaven National Laboratoryを訪れる事になったのは今年の8月です。 Washington Dulles空港から20人のりの小型機でNew York のLong Islandにある、 Macarthurまで飛び、そこから車で約30分で深い森に囲まれたBrookhaven National Laboratoryにと着きました。

NSLSに着くと一番最初はどこも同じでシンクロトロンでの安全についてのビデ オを見ることですが、ここではビデオの後にテストがあるというのでつい身が入っ てしまいました。

ビームラインはX4A、コロンビア大学のWayne Hendrickson氏のラインで今回は 多波長異常分散法(MAD)による測定が目的です。2つの重原子誘導体それぞれで 独立の多波長異常分散測定をするために4日間の測定時間を頂きました。x4aビ ームラインは多波長異常分散法による測定がほとんどであり、CraigOgata氏の他、 2名のテクニシャンにより管理されています(他にプログラマーなど2名がいると 聞いています)。

さてビームラインの特徴ですがデテクターは平板のフジのIPがセットされ、4枚 が順に回る方式です(CHESSと枚数は違うが同じです。大きな違いはIPのホルダー が軽い事です。これは心からユーザーフレンドリーだと思いました。)読みどりは BAS2000を使います。極低温実験のためのクライオシステムはオックスフォード 製で、液体窒素デュワーはハッチ中に固定されており、ハッチの外部から液体窒素 の供給ができます。もちろん結晶はモニターで見えるようになっています。すばら しいと思ったのは、マクロで制御されたインバース法と呼ばれる異常分散と波長間 での測定データ誤差をできるだけ少なくするための測定手順です。例えばエッジ、 ピーク、リモートの3つの波長を測定波長として選ぶと、最初の波長で振動名1度 のオシレーションを二枚だけ測定し、180度ファイを回転してBijvoet pair測定 のため裏をIP二枚で2度だけ測定する。次に2番目の波長に移り同じファイアング ルでの測定を繰り返す。さらに3番目の波長で同じことを繰り返す。これが1サイ クルの測定となります。この後また最初の波長に戻り次の角度でサイクルを繰り返 すわけです。ビームのリングカレントは時間とともに減衰するわけですが、この1 セットを最小の時間の内に測定することで、異常分散のシグナルはもちろん波長間 の波長分散差も精度良く測定できるわけです。

波長選択は結晶のEXAFSのスペクトルで行います。これはシンチレーションカ ウンター及びデテクター部分に3番目のイオンチャンバーをセットしておけば測定 時と同じコントロール画面上から簡単にEXAFSのスペクトルが取れるようになっ ています。f', f"の設定はプリントしたデータをみてマニュアルでしなければならな いのが玉に傷、画面上からクリックできればいいなと感じました。

我々は2つの独立な重原子誘導体、水銀とプラチナの測定をしました。それぞれ の重原子誘導体で3波長での完全な多波長異常分散データセットを得ることができ ました。現在プロセスが終わった所ですが、3つの波長すべてで非常にきれいな異 常分散髪パターソン図が得られ、かつピークとリモートの波長間でも非常にきれい な差パターソン図となり同様なピークが得られました。特に後者は2.8Åまでの波 長間のデータ差が1.3%にもかかわらず、同一位置に明瞭なピークが認められる差 パターソン図が得られました。これは私にとって大きな驚きでした。この事は精度 の非常に高い測定がこのシステムより可能だったことを意味します。

(4) 高エネルギー物理学研究所放射光施設

ここでは高エネ研のシステムを紹介するまでもないと思いますので、結果だけを 記します。それぞれBL6A,BL18Bを24時間づつ2回使わせていただきました。一 回目は通常のMIR,2回目は我々にとって初めての多波長異常分散法の測定でした。 残念ながら一回目はクライオの設定がうまく行かず極低温実験はあきらめ、二回目 も運悪くクライオの調子が悪く調整に手間取ってしまいました。そのため、MAD 測定のための時間を十分に取ることができませんでした。ただし、水銀誘導体のき れいなEXAFSスペクトルが得られたました。この結果から、この水銀誘導体で多 波長異常分散データが得られるという自信となり、Brookhavenで再確認されまし た。

3. シンクロトロンに何を望むか(企業ユーザーの立場から)

(1)ユーザーフレンドリーな測定装置

オートマチックなデータコレクションが望まれます。一つの理由は企業の場合、 大学と違い学生という若くてタフなパワーがありません。JTを例に話をすると結晶 屋は4人いますがいつのまにか4人とも30を過ぎ体力の衰えを感じ始めています (一人はすでに40を過ぎて...)。体力にものをいわせた測定方法は出来るなら避 けて欲しいと思います。もう一つはマニュアルでは単純ミスする確率が非常に高く なります。最近のBrookhavenを例に取ると本当に単純なデータ測定ミス(X線シャッター開き忘れ、IPセットミス、読みとりミスなど)がありました。これらはオ ートの測定では考えられないものです。

(2)極低温測定用のクライオ装置のセットアップ

今後、極低温測定はますます利用頻度が増すのではないでしょうか。液体窒素の 供給がハッチ外から簡単にできると便利だと思います。実験テクニック上、ハッチ 内に結晶マウント用の顕微鏡も必要です。また一度マウントした結晶は、いったん クライオストリームからはずすと決定的なダメージをうけてしまうので測定終了ま で二度とはずせません。これをそのまま極低温下で待避できる装置ができて一時的 にとっておけたら、複数の結晶を一、二枚試し取りするだけでスクリーニングでき、 これらの中から最良の結晶を実際の測定で使うことができると思います。こんな要 望は無理でしょうか。

(3)多波長異常分散法

セレノメチオニン誘導体タンパク質結晶の利用が拡がり、クライオ測定の普及で 単一結晶の長時間測定が可能となって、今後まずまずの多波長異常分散法の測定の 要望は高まっていくと思います。ユーザーが使いやすいEXAFSスペクトル測定を 含む測定波長選択のためのシステム、及びより精度の高い回折データ収集が出来る ようなシステムをお願いしたいと思います。ここでいうシステムとは当然回折強度 データにするまでの回折データ測定用ハードとそのコントロールソフトおよびデー タリダクションソフトも含んだトータルなシステムのことです。波長の頻繁な切り 替えはインバースビームジオメトリー法あるいはミラー法による測定にしてもデー タセット間でのシステマティックエラーの少ない回折データを短時間にとるために は必須です。これもハード面では可能であってもそれを統合してコントロールでき る利用ソフトなしでは絶対に行えません。厳しい実験スケジュールの中でただでさ えミスが多いのにマニュアルによる頻繁な波長の切り替えを行いながらデータを収 集するのは、実際上無謀だと思います。

(4)ビームタイムの割り当て時間

ビームラインが増えることによりユーザーが使える時間が増える事は非常にあり がたいことです。これは企業、大学など所属によらず変わらない意見であると思い ます。とくに極低温下での多波長異常分散法でのデータ収集などは最低でも二日は 必要になると思います。

ここで書いたことはあくまでも一企業ユーザーとしての立場からのものです。現 実には不可能なこともあるでしょう。特に他のユーザーの方々が、多波長異常分散 法のシステムを必要としているか、さらにどうすれば技術的に可能になるか、皆様 のご意見を伺いたいところです。私が、個人的にこんなシステムがあればいいなと いう事を、書かせてもらいました。

4.おわりに

現在 Visiting Scientist として滞在しているサンディエゴ/ラホイヤにある Agouron製薬のことを紹介して終わりたいと思います。Agouron製薬は蛋白質の構 造に基づき新しい阻害薬を創製して医薬開発をする(Protein Structure-based Drug Design)ことを目的としたベンチャー企業です。癌、AIDSなどそのプロジェクト内 容は多岐にわたっています。タンパク質X線結晶構造解析を中心としているだけに、 この分野のPh.D.も10人以上とかなりの数です。大きな製薬会社が小さなRDDグ ループを持つところは数多くありますが、アメリカでもこの開発手法に特化した企 業はそれほど多くはなく、ボストンにあるVERTEXとともにAgouronが大きなベン チャーです。

最後になりましたが、測定で常々お世話になり、わがままなな要望にも耳を傾け て下さる、坂部先生、渡辺さん及びシンクロトロン関係者の方々に深く感謝の意を 表したいと思います。


ご意見、ご要望などは下記のアドレスにメールを下さい。
sasaki@tara.met.nagoya-u.ac.jp