構造生物 Vol。2 No1
1996年4月発行

データ収集とプロセスにおける注意点


中川敦史

北海道大学・大学院理学研究科

はじめに

シンクロトロン放射光を利用したデータ収集は、通常の実験室系でのデータ収集に比べて数多くの 点で優れている。放射光を利用することにより、データの精度や分解能を飛躍的に改善することが可 能であるし、また、微結晶しか得られない場合や格子定数が数100Aを越えるような超分子集合体 の場合などでは放射光の利用なしでは回折強度データ収集を行うことすらできない。 放射光実験施設のタンパク質結晶構造解析用の2つのビームラインBL-6AとBL-18Bでは、巨大分 子用ワイセンベルグカメラ(あるいは多目的カメラ)とイメージングプレートを組み合わせたシステ ムにより、通常のサンプルであれば、初めてのユーザでも(実験室でのデータ収集は経験があること が前提であるが)半日程度の講習で十分に実用になる回折強度データを収集できるようになっている。 さらに、現在建設中のTARAのビームライン6Bは、過去の経験を生かした設計がなされているので、 より使いやすいものとなることが期待される。

しかし、より良い回折強度データを得るためには、単にルーチン的な処理を行うだけではなく、測 定装置やデータ処理ソフトウェアの特徴を理解し、目的意識を持って実験を行うことが望ましい。 PFでのデータ収集は、図1に示したようなステップに従って行う。このうち、方位マトリックス の精密化以前の操作はビームタイム中に、それ以降の操作は、ビームタイム終了後あるいはビームタイム中にデータ収集と平行して行われる。

サンプルに関して

PFでのデータ収集が、特に各自の研究室での場合と最も大きく違う点は、自己分されたビームタイムに合わせてサンプルを調製しなければならない点であろう。このことは、タンパク質などの生体高分子を扱う上で、非常に大きな問題点である。通常、タンパク質などの生体高分子は不安定なものが 多く、精製後、できるだけ速やかに結晶化しなければならないし、結晶化後も成長が止まった時点で、できる限り早くデータ収集を行わなければいけないにもかかわらず、結晶が得られた時点で、すぐに 放射光が利用できるわけではないからである。このため、PFのビームタイムに合わせてサンプルの調製から結晶化までを十分に計画を立てて行う必要がある。1996年度にTARAのビームラインが立ち上がれば、これまでよりはビームタイムに余裕ができ、実験の申請から2〜3週間程度で利用できる ようになることが期待されるが、その場合でも、やはり、スケジュールに関して若干は問題として残るであろう。

さらに、限られた時間内にできるだけ多くのサンプルのデータ収集を行うためには、実験室での予備実験を行っておくことは、必須である。PFでの実験までに、格子定数や空間群の決定、重原子同 型置換体の探索、結晶を凍結させてデータ収集を行う場合にはクライオソルベントなどの凍結のための条件の最適化といったことを済ませておくことが望ましい。 また、現在のところ、PFでは結晶化を行うための設備が不十分であるため、環境(温度や振動など)の変化に敏感な生体高分子結晶を各自の実験室からPFまで運ばなければならない。運搬中の温度の管理や運搬による振動の影響を考えて運搬方法や移動手段を考えなければならない。

放射光に関して

シンクロトロン放射光は、封入管式あるいは回転対陰極式のX線発生装置に比べて、いくつかの異なった性質を持っている。放射光を利用してより良いデータ収集を行うためには、放射光の性質を理解する必要がある。生体高分子結晶構造解析への利用に関係した、放射光の特長としては

  1. 輝度が高い、
  2. 発散角が小さい
  3. 白色光である
などが挙げられる。このうち、高輝度性により、高分解能回折強度データ収集、迅速なデータ収集によるX線損傷の軽減、微小結晶や超巨大分子複合体のデータ収集が可能となっている。また、発散角が小さいため、微小結晶や超巨大分子複合体のデータ収集を可能としている。白色光であることの特長により、ラウエ法を用いた時間分割構造解析を可能とするほか、自由に波長を選択できるため異常分散効果を効果的に利用することが可能である。

しかし、上に挙げた放射光の性質はあくまでも光源自身の性質であり、後述するように、データ収集の際には、ビームラインの光学系の設計によりそれぞれのビームラインで少しずつ異なった特徴を持っている。

ワイセンベルグ法について

一般的には、実験室、放射光施設を問わず、生体高分子結晶の回折強度データ収集には振動写真法が広く利用されているが、PFでは、巨大分子用ワイセンベルグカメラを用いて、ワイセンベルグ法によりデータ収集が行われている。ワイセンベルグ法、振動写真法いずれも一長一短がありどちらが良いとは言い難く、実際、PFの巨大分子用ワイセンベルグカメラを用いて、振動写真法により高精度なデータ収集に成功した例も報告されているが(大阪大学の月原らによるチトクロム酸化酵素の構造解析など)、一般的には、現在のシステムを利用する上では、総合的に見ると、ワイセンベルグ法の方が優っているといえる。

表1に、ワイセンベルグ法の特徴を示す。ワイセンベルグ法は振動写真法に比べてすべての点で優れている訳ではなく、二面性を持っており、ソフト・ハードの改良によりできる限り短所が減るようにしなければならない。

この数年来の2次元検出器は格段に進歩し、非常に高感度・高性能になった。その代表的なものがイメージングプレートである。イメージングプレートは、よく知られているように、1.高感度(〜1photon/pixel)、2.広いダイナミックレンジ(>105以上)、3.広い有効面積(400×800mm2)、4.高い位置分解能(150μm以下)、5.不感時間がない、6.高精度(DQE>80%)と、非常に優れた性能を持っている。イメージングプレートの唯一ともいえる欠点は、読み出しに(大きさと分解能にもよるが)2〜3分程度の時間を必要とする点である。PFの放射光は、イメージングプレートを用いると、普通のタンパク質結晶の回折強度データを1分以内の露光で十分なデータ測定ができる。このため、イメージングプレートを回折計に組み込んでオンラインで処理しようとすると、露光時間以上にイメージングプレートの読み取り/消去時間を必要とする。生体高分子結晶は、X線照射 後・時間とともに損傷を受ける場合が多く、できるだけ速くデータ収集を行う必要があるので、読み取りに時間をかけるのは得策ではない。このため、できるだけ精度の高いデータ収集を行うためには、オフラインでイメージングプレートの読み取りを行う必要がある。

オフラインで読み出しを行う場合、振動範囲の広いワイセンベルグ法を利用することによる、イメニージングプレートの交換に要する時間と手間を軽減するというメリットは非常に大きいといえるであろう。

表1に下したように、ワイセンベルグ法の最大の短所は、振動範囲を広げたことによるバックグラウントノイズの増大である。これを軽減するには、振動範囲をあまり広くしないことであるが、あまり狭くするとワイセンベルグ法の長所が生かせなくなってします。この妥協点として、通常は振動範囲を5〜10度程度なるように条件を設定している。

生体高分子構造解析用ビームライン

現在、PFでは6A、18Bの2つのステーションが生体高分子結晶構造解析用に利用できる。2つのステーションの最も大きな違いは、18Bでは白色ラウエ法を用いたの時間分割実験も行うことができることであるが、単色X線を用いたワイセンベルグ法によるデータ収集の際にも、2つのビームラインの個性によって使い分けをすることが望ましい。

表2に2つのビームラインのパラメータを、図3に2つのビームラインの光学系を示す。2つのステーションの違いを大きく分けると、6Aは、18Bに比べて輝度が高くビームの発散角も小さいので、0.1mm程度の微小結晶や格子定数の大きな巨大分子複合体結晶のデータ収集に適している。これに対して18Bは、多波長異常分散法を含む異常分散効果を利用したデータ収集に適していると言えるであろう。

1996年度より利用できるようになるTARAのステーション(6B)も、同様に、以前の2つの ステーションといろいろな面で違った個性を持ったものになるはずである。合計3つのステーションを(ビームタイムの制限がなければ)うまく使い分けることカ_より良いデータ収集につながる。

異常分散効果の利用

結晶の軸立てを行ってデータ収集を行うワイセンベルグ法は、Bijvoet対を同時に記録するため高精度な異常分散効果の測定を行うことができる(図4)。

異常分散項の虚数部分(△f")のみを構造解析に利用し、吸収端のごく近傍の波長を選択して測定を行うのでなければX線の波長分解能にそれほど神経質になる必要はなく、6Aで利用している三角ベント結晶でも十分な波長分解能を得ることができるし、波長変更に関してもコントロール用のPCに値を設定するだけで目的とする波長を選択することができる。しかし、波長設定の簡便さや波長分解能の点を考えると、二結晶モノクロメータを使用している18Bの方がより優れているので、通常の場合には18Bを利用することが望ましい。

異常分散項は、吸収端近傍で大きく変化する。従って異常分散効果を最大限に利用するためには、サンプル自身の蛍光スペクトルを測定して、波長較正と波長選択を行うことが望ましい(図5)。特に多波長異常分散法の場合は、△f'を利用するので、△f"を利用する場合に比べて厳密に波長較正を行う必要がある。6A、18Bいずれのステーションにも、シンチレーションカウンターを用いた蛍光XAFS測定システムが用意されているので、スペクトル測定等に1〜2時間程度必要とするが、これを利用して波長較正を行うべきである。この際、実際にデータ収集に用いる結晶で測定を行う必要はなく、すでに照射した結晶や場合によってはサンプルを含む溶液を用いることも可能である。

一方、特に6Aでは、モノクロメータより上流のスリットの幅を調整することにより、波長分解能を変えることができる。図6にスリット幅を変えたときのHo溶液の蛍光スペクトルの様子を示す。図から明らかなようにスリット幅を小さくすることにより、波長分解能は良くなっていく。もちろん、スリット幅を小さくすることは、X線強度が弱くなることを意味するが、若干の強度を犠牲にしても波長分解能が良い場合があるので、実験に合わせて最適な値を選択するようにする。

PFでのデータ収集で注意すべき点

一般的な生体高分子結晶の回折強度データ収集での注意点に加えて、データ収集やデータ処理においても通常の実験室系でのデータ収集での注意点に加えていくつか注意しなければならない点がある。これらを列挙すると、

  1. X線による損傷をできる限り減らすために、実験を始めたら(結晶にX線を照射したら)できる かぎり速やかに全データを測定しなければならない。 X線による結晶の損傷はX線照射中のみに進行するのではなく、ラジカルの発生等により照射後 は損傷が進んでいくと考えた方がよい。
  2. 放射光は任意の波長のX線が選択できるので(といっても、PFでの実験ではおおよそ0.9Aから 1.7Aくらいが利用できると考えておいた方が良い)、実験に適した波長を選択すること。、通常は、ネイティブのデータ収集には1.0A程度の波長が利用される場合が多いが、特に重原子同型置換体のデータ収集では重原子の異常分散効果をできる限り利用するために、波長を選択することが望ましい、各原子種毎の異常分散項の計算値は佐々木聡博士(現・東工大)による表を利用すると便利である。この表はanonymous ftp (ftp://pfweis.kek.jp/pub/Sasaki-tab1e)でも入手できる。
  3. 通常利用するイメージングプレートは長方形(20x40cm2または40x80cm2)であるので、検出器の形状による分解能の異方性が問題となる場合が多い。また、回転軸周りの反射は原理的に測定できないので、これらの理由により、可能であるならば回転軸を変えて少なくとも2つ以上のデータセットを測定することが望ましい。
  4. イメージングプレートはX線フィルムに比べるとダイナミックレンジが広いが、それでも低分解能のデータがオーバーロードしてしまう場合がある。このようなときには、露出条件を変えたデータ収集を行う必要がある。

などが挙げられる。

データ処理に関し

イメージングプレート上に記録された回折像は、ビームタイム終了後できるだけ早い時期に処理するが、もし人手に余裕があればビームタイム中に処理し、次の実験にフィードバックをかけるようにすると、より良い結果が期待できる。残念ながら、現状ではビームタイムに余裕がないため、ビームタイム中でのデータ処理はなかなか難しいかもしれないが、将来、ステーションの数が増え、ビームタイムに余裕ができた時、あるいは、連続した(あるいは数日開けて)ビームタイムが利用できる時は、できるだけその期間中にデータ処理を終わらせてしまうように心がけたい。

現在のシステムで、データ処理の自動化が難しい一番の理由は、フレーム毎にIPの位置が変わってしまい、いちいちfiducia1 markからfi1m setting matrixを決め直さなければならないことである。これは、イメージングプレートをIPカセットにセットするときに注意深く取りつけてIPの位置がフレーム毎に変わらないようにするとかなり改善することができる。

PFでのデータ収集システムは、残念ながら完全なものではない。通常のデータ収集では問題にならなくても、より精度の高いデータを必要とする場合にこれが問題となる。あるいは、サンプル自身に由来する系統誤差(例えば、結晶の異方性や放射線損傷などによる)が問題となる場合もある。例えば、イメージングプレート読み取り装置は装置固有の系統誤差の要因を持っており、小さな異常分散差を利用する場合に、かならずしも、満足のいくデータが得られない場合がある。系統誤差をできる限り小さくするためにはいろいろな方法が考えられるが、いろいろなローカルスケーリングの適用も1つの方法である。図2にその一例を示すが、この例では、硫酸還元菌チトクロムc553の波長間差パターソン図である。これは、鉄の吸収端付近である1.743Aとそれから離れた1.380Aの波長で測定したデータの差のパターソン図で、ψの寄与を示している。2つの異なる結晶を用いてデータ測定 し、しかも、波長が長いために吸収効果が大きく、ノイズのパターソン図であるが、1つのデータセット(1.380A)を参照データとして、他方のデータを逆格子の極座標でブロック化して決めたローカルスケールファクターを導入することにより、よりS/N比の高いパターソン図を得ることができた。

限られたビームタイムでできる限り効率よくデータ収集を行うことは、非常に重要なことである。そのためには、あらかじめ各自の実験室で十分な予備実験を行っておくことが望ましい。また、PFの施設をより良い物にしていくために、不都合な点や改善すべき点があれば積極的に意見(ここが悪いというのではなく、このように改良したらどうかということが重要である)を伝えていくことが重要であろう。


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