構造生物 Vol.2 No1
1996年4月発行

白色X線を使ったデータ測定


原田繁春

東京大学薬学部

1. はじめに

白色X線を使って瞬時に回折強度データを測定するラウエ法は、蛋白質結晶中で起 こる変化を見るための動的構造解析の有力な方法として注目されている。なかでも、酵 素反応の進行に伴う構造変化をラウエ法で明らかにすることには大きな興味が持たれて いる。しかし、酵素反応は通常ミリ秒オーダーで進む。従って、結晶中では反応速度が 多少遅くなっているとはいえ、動的構造解析を行なうためにはそれに匹敵するスピード でデータを測定するか、反応速度を秒・分・時間のオーダーに下げる必要がある。更に、どのようにして瞬時に反応を開始させるかという問題もある。これらについては、今の ところ次のような実験法が考えられる。

(1)caged化合物を使う方法

caged化合物とは、例えば基質を何らかの保護基で修飾し不活性にしたもので、 光により瞬時にその保護基を分解し、活性を持った基質を発生させることができる化合 物である。このようなcaged化合物と酵素との複合体結晶に光を照射すると結晶中で瞬 時に基質が生成し、酵素反応が開始する。従って、光照射と白色X線によるデータ測定 を同期させると反応開始後、一定時間毎に酵素反応がどのように進行していくのかをX 線構造解析で見ることができる。しかし、市販されているcaged化合物は種類が限られ ており、目的にあったcaged化合物を合成するのも常に容易とは限らない。

(2)pHジャンプ、温度ジャンプによる方法

酵素反応が進行しないpHや温度下で酵素一基質複合体結晶を調製し、PHや温度 のジャンプをトリガーにして反応をスタートさせる方法。PHジャンプのやり方として は、塩酸やアンモニア等の蒸気を飛ばすか、フローセルで所定のpHの緩衝液を流す方 法がある。さらに、この方法で酵素反応を遅くすることもできる。例えば、PHや温度 を最適なものから少しずらすことで容易に反応速度を1桁落すことができる。

(3)caged酵素を使う方法

触媒基を光分解性の基で修飾した不活性な酵素と基質の複合体結晶を調製できた ら光照射をトリガーにして酵素反応を開始させることができる。

(4)変異体酵素を使う方法

反応中問体を安定化するような変異を酵素に導入できれば、その中間体の構造を 比較的容易に観察することができる。

ところで、我々は坂部教授を代表者とする重点領域研究「動的蛋白結晶解析」のメ シバーとして、「放射光を利用した時間分割ラウエ法による酵素反応過程追跡実験法と トリガーの開発」という研究課題のもとにPFで実験を行なってきた。

我々の実験目的は、どのような実験を行なえば蛋白質(酵素)結晶中で(酵素反応 にともなって)起こる変化をラウエ法で見ることができるか、その実験法を開発するこ とにある。

なかでも、反応を一斉に開始させるためのトリガーとして有 1力なcaged化合物以外にどのようなトリガーが可能であるかを 探ることに重点をおいている。1993年に初めて白色X線で回 折パターンを撮影して以来今日まで約8日間のビームタイムを i使って実験を行なってきた。

ここではその間の実験経過とその結果について述べる。なお、実験を行なうためのサ 「ンプルとして3種類の亜鉛金「属プロテアーゼ、ScNP、AP、TH(表1)を使った。これ らのプロテアーゼは分子量やアミノ酸配列に全く相同性が ないが、触媒ドメインの構造はトポロジー的に非常に良く 似ている(図1)また、活性に必須の亜鉛原子には、 HEXXH配列という共通に保存されているアミノ酸配列中の2つのヒスチジンが配位子となっている。

2. ScNP結晶を使ったラウエデータの測定

2.1.インヒビター複合体結晶の回折強度データ

Streptomyces caespitosusが産出するプロナーゼScNPの結晶はX線照射に対して非常 に安定である。また、高分解能までX線を回折する良好な蛋白質結晶なので、白色X線 で測定したデータ(ラウエデータ)の質を調べるのに適している。

そこで、共結晶法で得られたインヒビターとの複合体結晶のラウエデータを測定し、 差フーリエ図でインヒビターの電子密度がどれくらいきれいに見ることができるかを調 べた。図2にデータ測定の実験条件と撮影したラウエパターンの一つを示す。データ側 く定は、通常の方法でX線キャピラリーに封入した複合体結晶に0.5-2.0A(見かけ上) のバンド幅を持つ白色X線を10msec照射し、20×40cmのIPに回折パターンを記録し て行なった。パターンはカメラのスピンドル軸(φ)に関して0-100°まで10°おき に10枚撮影した。これら10枚のIPをBAS2000で読み取り、プログラムLAUEGEN、 LAUEN0RM、LAUESCALで処理し、F-dataにした。その結果、2.5A分解能で、 comp1etenessが62%、Rmergeが21%となった。単色X線で測定したデータに比べて精度 は非常に悪い。次に、インヒビターの電子密度が見えるかどうかを調べるためにこのデ ータとCuKαで測定したnativeデータを使って差フーリエ図を計算した。差フーリエ図 はかなりノイズが多かったが、ScNPの活性部位にインヒビターと考えられる電子密度 が存在し、図3に示すようにモデルを置くことができた。

2.2.native結晶の回折強度データ

表2.native結晶のラウエデータの測定native結晶からの回折強度データの測定は表2 に示してある条件下で行なった。複合体結晶の場合との違いは、(1)大型(40×80p) IPを使った、(2)白色X線の照射ごとに結晶を少しづつ並進させ 照射位置を変えた、の2点である。その結果、2A分解能までのデータ(F≧2σ)を52%の completeness、Rmerge=9%で測定することができた。inhibitor複合体結晶よりも精度の高いデータ得られと考えられる。

IP上には色々な波長のX線から生じる回折点が記録されているので、各回折点がど の波長のX線によるものかを決定して、強度の補正(wave length nomalization)を行な う必要がある。この補正のしかたに、違う波長のX線から生じた同価な反射の強度を比 較する方法がある。この方法では比較する反射の数が多いほど精度の良い"wave length nomalization curveが得られる。ScNPは格子定数が小さいので、小型IPでは記録され る反射数が少ない。しかし、大型Pでは2σ以上に限っても独立な反射数(4233個) の7倍(28791個)が記録されている。図4は各波長毎に記録されたデータの数と、そ れらをもとに計算したwave length nomalization curveを示している。

図5は分解能毎に、本来測定しなければならない反射数と実際に測定できた反射数 を示している。Harmonic overlapのために低分解能の反射のcompletenessが極端に悪い。このデータを使ってscNPの構造の精密化をPROLSQで行なった。初期モデルはCuKα 線で測定したデータを使って1.6A分解能で精密化した構造を使った。精密化の結果 を表3に示す。また、図6はScNPの活性に必須の亜鉛イオンとその配位子のomit map である。dompletenessが低いためLaueデータで計算した電子密度図は少し痩せている ものの、重要な特徴はすべて見ることができる。

2.3.データの質の向上

nativeデータはRmergeが9%とまずまずの精度で測定できた。その理由はす でに述べた通りである。しかし、completenessが低いこと、低分解能のデ 一夕が抜けているという欠陥がある。これらを克服してこ単色X線並みのデータ を得るための方法として次のようなことが考えられる。

(1)理屈の上では、分解能dmaxまでのデータが測定できた場合には2dmax以下の低分解能のデータは波長λと2λに由来する反射が重なってしまう。そこで重なった反射についてdeconvolutionを行なう。これによって、低分解能のデータを得ることができる。

(2)今回測定したデータのcompletenessは4A以上の高分解能についても60%位し かない。その理由は9枚のラウエデータはスピンドル軸の周りに12°毎に撮影してい るが、それをもっと細かくする必要があったのかも知れない。また、結晶のorientation も重要なファクターである。

(3)波長のバンド幅は見かけ上2.0-0.5Aで、実際もそれに近いものと思われる。 バンド幅が広ければ一回の白色X線照射で確かにたくさんのデータを記録することがで きるが反射の重なりという問題も生じてくる。そこで吸収の影響を大きく受ける長い波 長のX線をカットしてバンド幅の狭い白色X線を使う方が、反射の重なりがなくなるた め低分解能のデータが得られ、結果として良いデータになるかも知れない。ただし、1 枚のIPがカバーできる逆空間が狭くなるのでスピンドル軸周りに細かく例えばこ2°と か3°毎に測定する必要がでてくる。

(4)Difference method(Hajdu等)を使う。もし、同じ結晶を使って全く同じorientationで時刻t0するとIPには図7に下すような全く同じパターンで強度 分布だけがわずかに異なった回折像が記録される。図7の なかで、Fλ1(hkl)t0とFλ2(hkl)t0は時刻t0の異なる波長λ1とλ2に由来する同価な反射とする。

通常はwave length nomalization curveを使ってこれらをスケール合わせし、平均して使う。しかし、時刻t0、t1のデータから計算した変化率△F(hkl)λ1、t1と△F(hk1)λ2、t1はスケール合わせをする必要が全くなくて単純に平均することができる。また、吸収の影響なども比を計算するときに全くキャンセルされてしまう。この方法は時刻t0とt1のこ構造の変化を見るための差フーリエ図の係数を求めるための有効な方法である。

3.動的構造解析のための予備実験

3.1.cagedプロトンを使ったpHジャンプ

ScNPの結晶はpH8付近で得られるが、PHを7以下に下げるとひびが入って壊れてしまう。そこで、ScNP結晶にcagedプロトン(図8)をsoakingし、レーザー光線を照 射することによってプロトンを発生させ結晶のpHが下がっ たかどうかを、結晶が壊れたかどうかラウエパターンを一定 時間毎に撮影してチェックした。

しかし、8分問に25枚のラウエパターンをIPに記録したがパターンは元のままで、何の変化も生じなかった。この原因としてcagedプロトンがレーザーで効率良く分解されなかったことが考えられる。また、分解されても蛋白質の分手表面には酸性・塩基性アミノ酸残基がたくさんあるので、それらの緩衝作用でpHが思っていたほど下がらなかったとも考えられる。

3.2.蒸気拡散を利用したpHジャンプ

蒸気拡散でpHどれくらい変化するかを調べるために、ガラス管の中に水と塩 酸を図9のように共存させて塩酸の蒸気を水の方に飛ばし、一定時間毎に水のpHを 調べてみた。かなり大まかな実験ではあるが、結果は塩酸の濃度を適当に選べば結晶 のpHをある程度望みの値に持っていける可能性を示している。

そこで、ScNP結晶をガラスキャヒラリーに入れ、結晶から約2cm離れたところに 6N塩酸を置き(時刻t=0分)、白色X線で回折強度データを測定した。10msecのX 線照射とP交換をつぎつぎに行ないながら、t:1分17秒から30分58秒にかけて15 枚のII)におよそ1.5分間隔で回折強度データを記録した。この時点で測定を一時中断 し、工P上に記録された回折点の形などがどう変化しているかをBAS2000で読み込ませ て調べた・ストリークを引く等の変化は見られなかった。そこで測定を再開し、40分 58秒(4HCLLaue20)、47分58秒(4HCLLaue21)、54分14秒(4HCLLaue22)にそれ ぞれ10msecのX線照射を行なってはBAS2000で回折点の変化を調べた。4HCLLaue20 では少しストリークを引きだしている。4HCLLaue23では完全に結晶がだめになってし まったので測定を終了した。各ラウエパターンを比較してみると回折点の強度分布が変 化していることがわかる。この変化がpH低下によるScNP分子の構造変化を反映して いるものであれば興味深い。この実験では、各時間毎のデータは結晶の方位をいろいろ 変えて測定していないので一番良いものでもRmergeが16%、completenessは10%程度 であった。この蒸気拡散を利用する方法は結晶のpHがいくらになったか、厳密にはわ からないという欠点がある。しかし、非常に簡単にできるので目的によっては利用価値 があると考える。

3.3.フローセルを使ったpHジャンプ

蒸気拡散に対してフローセルでは所定のpHの溶液を流すことができるので厳密に pHをコントロールすることができる。そこで、図10のようなフローセルを使ってみた。 しかし、これでは.(1)結晶がセファデックス中に埋もれているためにカメラにセットし てアライメントをするときにほとんど見えない、(2)X線を照射したときセファデック スのバックグランドが非常に大きい、(3)セファデックスが密に詰まり過ぎると溶液が 流れにくく、逆に詰まり具合が粗いと溶液を流したときに動く等の欠点があり使いにく かった。また、グリースやワセリンで結晶を固定してみたが十分なものではなかった。 つぎに、図11に示すようなフローセルを作り、結晶を低融点アガロースゲルで固定し た。まだ改良の余地があるものの、これまでのうちで最も使いやすい。ただ、アガロー スは高濃度の塩やPEGが含まれていると溶けないのでどんな場合でも使えるという訳 にはいかない。アガロースの代わりにアクリルアミトゲルも有望ではないかと考えてい るが、まだ試していない。図11のフローセル中にサ一モリシンの結晶をアガロースゲ ルで固定し、EDTAを含む溶液を流してみた。目的はサーモリシン中の活性に必須の亜 鉛原子がEDTAで抜かれていく様子が見られるかどうかで、データの質を検討するため である。溶液を流しはじめて0、30、45分後にデータを測定した。completenessを上げ るために同じ実験をX線に対する方位を変えた3個の結晶を使って行なった。しかし、 2個の結晶は回折強度が弱くて処理することができなかった。1個の結晶からのデータ では分解能2Aでcompletenessは30%程度、Rmergeは22-28%であった。また、 ScNP結晶を使った実験では溶液を流しながら、スピンドル軸が0、24、48°でデータ (image-1、image-2、image-3)を測定した。

これらのデータを処理したところ、例えばimage-1だけだとcompletenessは29%( 2.0A分解能)と低いが、Rmergeは16%程度であった。しかし、image-1 + image-2、 image-1 + image-2 + image-3という具合に結晶の方位を変えてとったデータをだし合わ せるとRmergeは23%、29%とどんどん悪くなっていった。明らかに吸収の影響がで ている。

4.白色X線によるダメージ

白色X線を使った実験がうまく行くかどうかの最初の鍵を握っているのはX線に対 して結晶が安定であるかどうかである。我々は同じように作ったつもりの結晶でも、あ るバッチの結晶は良好であるのに別のバッチの結晶はストリークを引くものばかりであ るということを経験している。しかし、ストリークを引くバッチの結晶でもBL6Aで単 色X線を照射し、回折像を調べてみると何の問題もなかった。仮説ではあるが、このよ うなことが起こる原因として次のようなことを考えている。すなわち、結晶自身にサン プルの純度が悪かった、結晶ができるスピードが速すぎた、PFへ持っていく途中での 温度変化や振動等のために何らかの欠陥が生じてしまった。そのような結晶に白色X線 を照射すると(多分、熱のために)雪崩をうつように結晶が壊れてしまう。ちなみに、 実験を開始した当初はストリークを引く結晶ばかりのバッチから、半日位経つと良好な 回折点を示す結晶が現われてきたということがあった。これは一定時間の経過とともに 欠陥を回復し、完全性を取り戻したからなのかも知れない。逆に全く回復しなかったこ ともあった。

蒸気拡散法で結晶を作ると、キャピラリーに封入するときに使う母液と結晶が成長 したドロップの組成は完全に同じでない。そのために結晶を取り扱うときに結晶を傷め、単色X線では問題にならなくても、白色X線では致命的になることがあるかもしれない。 従って、ラウエ実験のための結晶は透析法で行ない、透析外液(必要なら少し沈澱剤濃 度を上げた母液に透析してから、それを)を使って、結晶を取り扱うのが良いかもしれ ない。

ストリークの原因が白色X線を使ったときに生じる熱にあるならば、長い波長のX 線をカットしたり吸収板を入れてX線の強度を弱めるのがいいかも知れない。Moffatら の計算によるとNSLSのBL X26Cの白色X線(1.7-0.7Å)を100msec蛋白質結晶に 照射すると、X線が当たっている部分では8.5℃、その裏側でも7.3℃の温度上昇があ る。しかし、熱によって生じるモザイク性の増大は、同じ100msecでも(10msecの照 射十90msecの休憩)を10回繰り返すという照射方法で抑えることができた。すなわち、 90msecの休憩の問に熱が結晶中を拡散し、局所的な温度上昇を防ぐことによってダメ ージを抑えることができたということである。また、Sweetらはトリプシンのデータ測 定を1.5mmのグラファイトフィルターで波長の長いX線をカットした白色X線で行な い、結晶の寿命をかなり仲はすことができたそうである。実際にこの厚みを持ったグラ ファイト(アルミでは135μmに相当する)は、1Åで40%位、1.5Aで80%、2Aに なると97%の入射X線を吸収・カットする。さらに、強い白色X線を短時間(100 msec)照射するよりも、弱い白色X線を長時間(4sec)照射してデータを測定したほう が1個の結晶からたくさんの回折写真を撮影することができたと報告している。

当然のことながら、熱による結晶のダメージは冷却によってかなり防ぐことができ ると同時に、反応速度を落すことができる。例えば、室温で、18kcal mol-3の活性化エネルギーが必要な反応の反応速度は200Kの温度を下げることで、室温より6桁反応速、度が遅くなる。

以上、ダメージに関することはこれまでの経験からの“感触”に基づいているので 間違った部分もあるだろう。しかし、現時点では良いデータを測定するための方法とし で結晶の問題を除くと、

  1. 白色X線に含まれる長波長のX線をカットする。
  2. その結果、バンド幅がちいさくなって1回の露光で雌できる反射数が減少す るので、1つのデータセットを集めるために結晶をスピンドル軸の周りに少しず つ回転させて、いろんな方向からの回折パターンを撮る。これは、comp1eteness、 を上げると同時にredundancyが大きくなって、データの質の向上につながる。
が良いのではないかと考えている。

最後に、この仕事は坂部教授を代表者とする重点領域研究「放射光による蛋白質結 晶構造のミリ秒オーダーのダイナミックスの研究」のもとで、高エネルギー物理学研究 所放射光実験施設BL18Bに設置されている装置を使って行なわれてきたものである。 PFで実験するにあたっては坂部教授、渡邊博士には多大のご援助・ご指導を頂いた。 また、この仕事は原田が大阪大学工学部に在任中の1993年よりスタートしたが、1994 年に東京大学薬学部に転任した後も大阪大学工学部甲斐研究室の大学院生、栗栖源嗣君 と杉本明子さんの協力を得て行なわれたものである。


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