構造生物 Vol.2 No.2
1996年10月発行

デンシティーモデイフィケーションの思い出


坂部知平

筑波大学・応生

 6月21日に開催された第2回パネルディスカッションでつい昔話をしてしま ったため書く羽目になりました。随分前のことで当時のデータが見付かりません ので思い出話として少し当時のことを書いてみます。

 1996年頃から坂部貴和子及び現在マックサイエンスの副社長である片山忠 二君(当時博士課程在学中)と共に2亜鉛インシュリン結晶の解析を行っていま した。2亜鉛インシュリン結晶の解析は歴史が古く、1934年にD.C.Hodgkin 先生が始められましたが、重原子誘導体が出来ず、ミオグロビン、ヘモグロビン、 リゾチーム等の解析に先を越されたものです。我々はウラン誘導体結晶が得られ たのですが、同型が悪く3Aがせいぜいだったと思います。しかも異常分散を用 いた単一同型置換法(Sl RA)で構造を求めるには、当時の技術では大変でし た。母結晶のデータは充分高角度迄データが取れていたので何とかして位相を計 算できないかと思い、考え付いたのがデンシティモディフィケーションでした。 京都で国際結晶学会が開催された年ですから1972年のことです。最初は水領 域をフラットにするというよりは電子密度にマイナスはあり得ないと言う「ノン ネガティブ」の考えから出発しました。当時は今のようにプログラムが整備され ておらず、全て自分たちで作っていました。少し話がそれますが、私が天然物有 機化学から天然物結晶解析に転向した1964年頃はデータ収集には、4軸回折 計やデンシトメータ等は有りませんから、低分子用のワイセンベルグカメラを用 い、X線用写真フイルムに焼き付け目で見ながら指数を付け更に標準濃度と目で 比較しながら一つ一つデータをノートに書いていた時代です。未だ何処の大学に も共同利用の計算機が無かった時代で、私が最初に使用した計算機は武田薬品 中央研究所にあったNEACの2206で、夜だけ貸してもらいました。この計 算機は当時は最新式でしたが、十進法を採用しており、メモリーは10,000 ワードでした(当時はバイトではなくワードで表現していた)。F0RTRAN等はまだ 無くアッセンブラー言語で、紙テープにパンチし入力する時代でした。デバッグ 中間違いを見付けると、紙テープを作りなおすのも大変なので、機械語で(数字) 修正しました。とにかく10,000ワードしかないので、この中にプログラム とデータの両方をしまわなければならないわけです。そのためには、1ワード中 に指数と強度データの両方をしまう必要が有ります。例えば指数は±50を越え ることは無いと仮定し(H+50)x100000000(X+50)+1000000+(1+50)x10000+F等として しまうわけです。私が書いたプログラムはデータ処理、パターソン、ミニマムフ ァンクション、フーリエ等です。精密化のための最小2乗法のプログラムは武田 の西川正夫さんが書いてくれました。フーリエ計算は現在は殆ど全てFFTが用 いられていますが、当時は1s t〜3r dサンメーションと言って例えば1 st サムを指数Hについて行い(Hが消去される)、最後の計算はLzの計算を行っ て打ち出すのが最も速い計算方法として知られていました。三角関数等の計算は 遅いため最初に表を作ったり、積算や除算は遅いので加減算に変えたりして計算 速度を上げる必要が有りました。その様に工夫しても、1夜でフーリエ計算が1 〜2セット出来るのがやっとの時代でした。数年後には東京大学に共同利用の大 型計算機が出来、やがて京都大学や名吉屋大学にも全国共同利用の大型計算機セ ンターができました。利用できるメモリーも確か54Kワードになり素晴らしい と喜んだ記憶が有ります。当時の全国共同利用の大型計算機は現在のパソコンは より遙かに劣っていますがそれでも素晴らしいと思い皆で使っていたわけです。 さて本論に戻りますがこの様な時代にデンシティーモディフィケーションにより 高角のデータに位相を付けよう思ったのでした。

 片山君は既に助手に採用され田仲二朗教:授のテーマを行っていたため坂部貴和 子がフーリエのプログラムをもとに構造因子のプログラムを作ってくれました。 ノンネガティブだけで計算してみたところ最初入力したFoに対してはまともな Fcと位相を与えましたが計算に用いなかった反射に対するFcの値が極めて小 さく殆どゼロに近い値でした。そこで電子密度のある値以下をゼロにして計算し ました。現在で言うソルベートフラッタリングに近いことを行った訳です。こう することにより、フーリエの計算に用いなかったFcの値も少し大きくなりまし た。これに勢いを得て、電子密度の上限も決めそれ以上のところはフラットにし ました。此のあたりのことをデータをもとに記述したいところですが、先に申し ましたように随分古い話でデータが見付かりません。そこでその位相をFoに付 けて電子密度の計算を行うと言うサイクルを繰り返し、少しづつ分解能を上げて 行きました。分解能が上がるに従い電子密度が丸くなりアトミックに見えてきま した。つまり高角度の反射に間違った位相が付いたためめ電子密度分布図がぶつ ぶつに切れ、ドンドン悪くなって行ったわけです。京都国際結晶学会が近づきの んびり計算している時間的余裕も無くなってきたため、此の方法を放棄してしま いました。

 分解能を上げることを考えず、SIRAで求めた位相を此の方法で改良するこ とを考えれば少しはポジティブな結果が出たかも知れません。当時低分子上がり の私は分解能のことばかり考えており、位相改良に思いを馳せる余裕もなく此の 方法を放棄してしまいました。後日オックスフォード大学に留学した際、D.C. Hodgkin先生にこの方法に付いてお話したところ、先生は大変輿味を持たれたの ですが私が失敗したことを申し上げた所、「おー」と残念そうな声を出され、此 の話はそれっきりになってしまいました。

 同じ様なことを行っていても、分解能を上げるか、位相改良に用いるか、目的 の取り違えが成否の鍵になったわけです。後から考えれば一寸したことですが、 実はこれが極めて大きなことです。正しい道を選べれるかどうか、この一寸で決 まることが多いと思います。恥を覚悟で敢えて私の失敗談を書きました、何かの 参考になれば幸いです。


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