構造生物 Vol.2 No.2
1996年10月発行

構造解析のための蛋白質作成技術
−酵母を用いた蛋白質の生産−


米田俊浩 近藤恵二

キリンビール基盤技術研究所

 酵母を蛋白質生産の場として利用する利点としては、まず大腸菌なみの扱いやすさと培養 の容易さ、増殖速度の早さ、比較的簡単な高密度培養があげられる。また、形質転換による 遺伝子導入が容易であり、導入する遺伝子は相同組換えにより染色体に組み込んだり、ある いはプラスミドとして保持させることも可能である。さらに、酵母は真核生物であり、蛋白 質が翻訳後に適切に折りたたまれて本来の生理活性を示すことが多いこと、分泌の過程で糖 修飾を受けることなども利点といえる。近年まで酵母といえばSaccharomces cerevisiaeを意 味していたが、異種蛋白質生産量に関しては一部の例外的な成功例を除いては、大腸菌での 生産量には及ばなかった。しかし、近年メチロトロフ酵母や、その他クルイベロマイセス酵 母・キャンディダ酵母などいくつかの酵母での異種蛋白質の大量生産の成功例が報告されて いる。ここでは最近の酵母における蛋白質生産について簡単にまとめてみたい。

1. サッカロマイセス酵母における蛋白質生産

 酵母S.cerevisiaeは遺伝解析の容易さと扱いやすさとから古くから遺伝学の研究材料として 用いられてきた。その形質転換系が確立された後は、これらの特徴に加え、相同組換えによ る遺伝子破壊の容易さや、多彩なニ一ズに答える豊富なベクター系の開発により、種々の遺 伝子機能を調べるための真核生物モデル生物として利用され、細胞周期制御遺伝子、ガン関 連遺伝子、シグナル伝達系の研究などその研究結果は動物細胞での研究にフィードバックさ れてきた。さらに真核生物のモデル生物としてだけではなく、two-hybridシステムなどの手 法に代表されるように、動物遺伝子の解析のための道具としても酵母は大きく貢献している。さらに今年春に酵母全ゲノムDNA配列が解明されですべての遺伝情報が明らかにされたことにより、酵母は真核生物のモデル生物として、そして動物遺伝子の解析のための道具として今後ますますその重要性を増すことは間違いないといえる。

 一方、蛋白質の生産工場としての酵母の活用についても形質転換系の開発後盛んに検討されてきれ異種遺伝子発現用プロモーターとしては、グリセルアルデヒド3リン酸デヒドロゲナーゼ(GAP)・ホスホグリセリン酸キナーゼ(PGK)、アルコールデヒドロゲナーゼ(ADH)など解糖系酵素の遺伝子由来のものや、カラクドキナーゼ(GAL)や抑制性酸性ホスファターゼ(PHO)など培地条件により誘導可能なプロモーターなどが使用されている。発現した蛋白 質は本来の生理活性を示すことが多く、大腸菌で見られるような不溶性の封入体を形成することはない。一般的に異種蛋白質の発現量は菌体内、分泌ともに限られたものであり、菌体内で総蛋白質の1-5%、分泌の場合でqg/L以下程度の発現レベルが一般的であろう。酵母における物質生産での大きな成功例としてはB型肝炎ウイルスの外被蛋白質の発現例があり、産物は菌体可溶性蛋白質の約40%まで蓄積して菌体内でウイルス粒子を形成した。誘導性GAL1プロモーターを含むマルチコピー型ベクターpYES2はInvitrogenから、PGKプロモー ターを含むマルチコピー型ベクターpYEXTM-S1と誘導性CUP1プロモーターを含むマルチコ ピー型ベクターpYEXTM-BXはニッポンジーンから入手可能である。蛋白質生産用ではない が、蛋白質間の相互作用を見るうえで強力な武器となるtwo-hybridシステムはMatchmaker systemとしてClontechから発売されている。

2.その他酵母における物質生産

 近年、サッカロマイセス属以外の酵母が物質生産用宿主として注目され、利用されている。このなかでまず第一にあげられるのは後述するメチロトロワ酵母である。メチロトロワ酵母はメタノールを単一の炭素源として生育可能であり、メタノール培地中では、メタノール酸化酵素、ギ酸脱水素酵素などがそれぞれ菌体内蛋白質の数10%を占めるまでに誘導される。 したがって、これらの酵素遺伝子のプロモーターを利用した発現系は生産量の点で酵母発現 系のなかでも最も高く評価されており、菌体内発現では総蛋白質の30%程度、分泌の場合 で培地中に5g/Lまで発現した例もある。これらの酵母発現系の詳細については次章で詳し く示したい。これとは別に筆者らは最近、食用酵母として安全性が高いとされる酵母 Candida utilisの形質転換系を開発した。この酵母を宿主として、C.utilis由来のGAP遺伝子の プロモーターによりアフリカ植物果実由来の甘味蛋白質モネリン遺伝子を発現したところ、 モネリンは可溶性蛋白質として発現して可溶性蛋白質の50%以上蓄積することが示された。 また・ヘクターは染色体に組み込んでいるが、非選択培養条件下で菌体を継代培養した場合 でも50世代以上安定に保持されることが示された。その他の蛋白質についても同様な高発 現結果が得られており、この酵母もまた異種蛋白質発現用の宿主々して有望であることが示 唆されている。C.utilisの発現系に関しての詳細に関しては筆者まで連絡していただきたい (キリンビール基盤技術研究所 近藤恵二 TEL045-788-7218、FAX045-788-4042,E-mai1 Kondok@kirin.co.jp)。このほか、酵母Kluveromyces lactisも分泌能力が高い酵母として、 キモシンやヒト血清アルブミン、インターロイキンなどを高レベル分泌して生産した例があ る。また、分裂酵母Schizosaccharomces pombeにおいてヒトサイトメガロウイルスプロモー ターを用いることにより、ヒトリポコルチイIを菌体可溶性蛋白質の約50%まで生産させ た例が報告されている。なお、旭硝子(株)ではS.pombe発現系を用いた発現受託サービス を行っているとのことである。

3. メチロトロワ酵母における蛋白質生産

 メチロトロワ酵母(メタノール資化性酵母;methylotrophicyeast;methanol-utilizing yeast)は、 メタノールを単一の炭素源・エネルギー源として生育することのできる酵母で、遺伝子発現 宿主としてS.cerevisiaeより優れていると考えられる酵母の中でも、最も開発されている。そ の理由として(1)メタノールで制御される強力なプロモーターを有すること、(2)安価な 培地での高密度培養系が確立されていることが挙げられる。メチロトロワ酵母は、グルコー スなどの普通の炭素源で生育することもできるが、メタノールを炭素源として培養すると、 他の酵母には見られないユニークなメタノール代謝系酵素群が一斉に誘導される。これらメ クノール代謝系酵素の中でもアルコール酸化酵素、ギ酸脱水素酵素、ジヒドロキシアセトン 合成酵素はメタノールによって著量生産(それぞれ菌体内可溶性蛋白質の10〜30%)される。 これら酵素の生産は転写レベルで制御されるため、これらをコードする遺伝子のプロモーター の支配下で目的とする異種遺伝子の誘導発現が可能となる。

 さらにメチロトロワ酵母はメタノールを炭素源あるいは誘導物質として用いるため、培養 コストが安価であるとともに、1970年代に酵母菌体を微生物蛋白質(single cell protein)とし て利用する研究がなされた結果、安価な培地で乾燥菌体重量にして約100g/Lの高密度培養 技術が確立された。このようにメチロトロワ酵母は簡便かつ工業化スケールまで生産可能な 真核生物の異種遺伝子発現系であるといえる。筆者らはC.boidiniiのギ酸脱水素酵素プロモー ターを用いた発現系を構築しており、好熱細菌由来の耐熱性酵素等の著量発現に成功してい る。

 現在のところ、形質転換系及び異種遺伝子発現系が確立しているのは、Candida boidinii、Hansenula polymorpha、Pichia pastorisの3種である。それぞれの発現系において下の表に示す ような使用コドン頻度、発現調節の点で大きな差が認められ、それぞれの発現系の特色となっ ている。それぞれ発現させたい遺伝子に応じて発現系を選択すればよいが、キットとして入 手可能なのはInvitrogenのP.pastorisのシステムだけである。

4.酵母による遺伝子発現実験方法

 詳しいことはキットに付随のプロトコール、実験書を見ていただくことにして、ここでは おおまかな注意点について述べることにしたい。

(1)発現ベクターの構築

 酵母において異種遺伝子を発現させる場合、目的とする蛋白質は細胞内に生産させるか、細 胞外に分泌生産させるかで、その精製法や発現の検定法は異なるので、その点を考慮して発 現遺伝子の設計を行うべきである。分泌発現の場合、蛋白質は細胞外に放出される過程で活 性発現に必要な巻き戻しを受けるため活性型蛋白質として生産されることが多く、細胞外に 生産される蛋白質の大部分が目的とする蛋白質であるので精製が簡便であるといった利点が ある。この場合検討すべき点は分泌させるためのシグナル配列である。シグナル配列は酵母 由来の配列(例えばα-mating factor)の他、動植物由来のものでも機能することがある。シ グナル配列によって発現量が変わるので2〜3種類検討するとよいであろう。(InvitrogenのP. pastorisのキットにはS.cerevisiaeのα-mating factorをシグナル配列として用いるものと、P. pastoris自身のPHO1遺伝子のシグナル配列として用いるものが用意されている)一方菌体内 発現させる場合、シグナル配列の付加は不要であるが、精製のスナッブのことを考えると Hisタグ等の付加を検討する必要があろう。目的遺伝子はPCR等によって適当な制限酵素部 位を設け、発現ヘクターへ組み込むわけだが51側非翻訳領域はあまり長くとらないほうがよ く、5'側非翻訳領域にATG配列が存在していないことを確認する必要がある。目的遺伝子の コドン使用頻度が宿主のものと著しく異なる場合は、全合成する必要が生じるかも知れない。 発現プラスミドを宿主染色体DNAに組み込む場合、制限酵素で直鎖状にして形質転換を行 うので、形質転換に用いる制限酵素部位と目的遺伝子を切断する制限酵素部位を確認してお かなければならない。

(2)形質転換

 酵母の形質転換ではプラスミドDNAは宿主細胞の染色体DNAに組み込まれるタイプと、酵 母細胞内でプラスミド状態で存在するタイプに分れる。前者は一般的にコピー数、形質転換 頻度は低いものの、一度染色体DNAに組み込まれた後は非選択培地で、培養しても発現ユニッ トが脱落する頻度は低い。一方後者はコピー数、形質転換頻度は高いもの安定性の面で問題 がある。形質転換方法としては(1)リチシム法(2)スフェロプラスト法(3)エレクトロ ボーレーション法を用いることができるが、酵母菌株種によって最適手法が異なり、例えば p.pastorisではスフェロプラスト法がC.utilisではエレクトロポーレーション法が最もよく用 いられている。一度の形質転換で1コピーあるいは多コピーのプラスミドが導入された形質 転換株が取得できる。一般に、多コピー導入形質転換株の方が発現量が高いと言われている が、必ずしもそれは当てはまらず、発現させる遺伝子によって最適のコピー数が存在するよ うである。どうしても多コピー導入株が必要な場合は、薬剤耐性での選択圧、プロモーター の一部を欠失させたマーカ一遺伝子の利用により取得することができる。さまざまなコピー 数の形質転換株をスクリーニングして発現量の高い株を選抜するのがよいと思われる。

(3)形質転換株の培養

 酵母を用いて、目的蛋白質を大量に取得するためには、細胞内発現にせよ分泌生産にせよ、 プロモーターを効率的に働かせながら高密度培養することが、培地当たりの生産量を向上さ せるためのポイントとなる。メチロトロワ酵母においては、メタノール添加のタイミングと 通気量が重要なファクターとなる。メタノール代謝の第一段階の反応に関与するアルコール 酸化酵素は外界のメタノール濃度によって厳密に調整されているうえに、過剰のアルコール 酸化酵素存在下に過剰のメタノールが加わると、さらに毒性の高いホルムアルデヒドや過酸 化水素を蓄積するために酵母が死んでしまうことがある。またアルコール酸化酵素は反応に 分子状の酸素を必要とするので、通気量の多いほうが生育、発現量とも優れている。このよ うに用いるプロモーターや宿主細胞の培養特性に応じて培養方法を設定する必要がある。 その他、目的とする蛋白質に応じた培養条件の検討は必要である。例えば分泌生産の場合、 発現させる蛋白質のpHや温度に対する安定性は考慮しなければならなく、培地中のpHを常 に調整することは必須である。また酵母エキスやEDTAの添加により、見かけの分泌量が促 進することが知られているが、これらは生産物の安定化に寄与しているものと思われる。い ずれにせよ高発現株を得た後、最適条件を検討すべきである。

(4)発現された産物について

 酵母で発現させた蛋白質は菌体内発現であっても翻訳後に適切に折りたたまれて本来の生理 活性を示すことが多く、大腸菌で生産させた時のように巻き戻す必要はない。分泌生産させ た場合、多くの場合シグナルペプチドは正しく認識切断され、糖鎖の付加も行われる。糖鎖 構造は酵母独自の構造で、天然型とは異なっているので、構造解析の際にはその点に注意す る必要がある。


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