構造生物 Vol.3 No.1
1997年2月発行

応用の学としての構造生物


宮野雅司

日本たばこ産業株式会社・医薬総合研究所

タンパク質X線結晶解析、多次元NMRによるタンパク質・核酸などの立体構造がライ フサイエンスに与え続けるインパクトは多くの科学雑誌に発表される論文によって日々実 感するところである。原子レベルでのその構造はしばしば驚嘆させられる展開を切り開く。 そして、また新たな疑問を生み、それまで以上の多くの研究課題を投げかける。タンパク 質の構造を使って医薬品開発をしようというStructure‐based Drug Designはこうした構造生 物の典型的な応用例であろう。この成功例としてHIVプロテアーゼ阻害剤をベースにした エイズ治療薬の開発がしばしば取り上げられ、既に多くの総説がまとめられてきた。また、 多剤併用による臨床での目を見張る治験データが明らかにされマスコミでも評判になった ことは記憶に新しい。そして、薬剤開発だけに止まらず、医薬品開発に絡む別の重要な側 面である、薬剤吸収性と構造の相関、そして薬剤耐性の分子機構、さらにはHIVウィルス の増殖などに関する興味深い成果がこうして開発された広範な薬剤を「どうぐ」として使 うことで進められている。そして、抗ウィルス剤の夕ーゲットとしてウィルス粒子成熟の ためのプロテアーゼの構造決定は重要な構造生物の課題として確立し、A型肝炎ウィルス などのファミリーである3Cプロテアーゼ、エイズの日和見感染症として注目されている サイトメガロウィルスのプロテアーゼ、さらには日本人の肝臓ガンの主な原因と考えられ ているC型肝炎ウィルスのプロテアーゼの結晶構造がライフサイエンスをリードしている 雑誌に最近相次いで報告された。これらの研究グループはほとんどがベンチャーを含む製 薬企業であったということは注目に値しよう。

生き物では「はたらき」が「かたち」にあり、仮説を「目で見て」試すことができる原 子レベルでの構造研究が開発に役立つと信じている。そして、生体巨大分子の「かたち」 の博物学、分類学からやがて応用にも役立つ「はたらき」の生態学、生理学へと発展させ たい。研究開発を進めるために要求される研究分野が広く、必要でありながらまだまだ開 拓すべき技術課題が多いと、1企業研究者として感じている。課題を克服するには水溶液 中での非共有結合など理論を含んだ基礎研究の発展がまだ必要であると思う。また、エイ ズの多くの攻め口のうちStructure‐based Drug Designの適切なテーマとしてHIVプロテアー ゼ阻害剤開発が進められたように、なにをテーマに選ぶかが応用研究の結果を決める。た とえば、医薬品の主要なターゲットであるレセプター、チャンネルはこの方法論を医薬開 発にいかすに十分なほど構造研究が進んでいない。時代にあった適切なターゲットを選ぶ ことと同時に、将来を見据えた困難な長期的研究テーマを遂行するためは、国内外、産・ 官・学など、その形態を問わず多くの若い力が結集され、同じ分野はもちろん異分野を巻 き込んだ「研究交流」ひいては「共同研究」が必要であろう。応用を含んだ構造生物を日 本でも発展させるには同じ分野はもちろん多くの異分野の研究者による健全な「共同と競 争」が不可欠と信じている。放射光施設という高度なファシリティーをベースとした TARA坂部プロジェクトが一つの核として発展し、得られた構造情報の共有そして発信の 場となって新しい「協力・共同」の場となり真の意味での「研究のインフラ」として機能 していくことを期待している。


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