構造生物 Vol.4 No.3
1998年12月発行

チトクロム酸化酵素の結晶化と結晶構造


吉川 信也

姫路工業大学理学部 生命科学科

1)はじめに

 チトクロム酸化酵素は細胞呼吸の末端酸化酵素として大気中の02を電子受容体 とする好気呼吸のカギとなる酵素である。この酵素は分子量20万以上の全く構造に 対称性のない巨大な膜タンパク質複合体で大小さまざまの13個のサブユニットから 構成されている。一方、活性中心にはヘム鉄が含まれているため、宝石のように美 しい色を持っていて、それがヘムの酸化状態や配位子結合状態によって文字通り多 彩に変化する。この酵素は70年以前に発見されて以来、生体エネルギー論分野の中 心課題の一つであり続けている。したがってこの酵素に関して無数の論文が出版さ れているが、反応機構に関する理解の程度は驚くほど低く、実験結果より思想(仮 説)の方が多いと言われるほどである。このように研究の進歩が遅れている最大の 原因は複雑な膜タンバク質複合体であるため、構造研究、特に立体構造を解明する ことが困難であったことにある。

 反応機構の理解のためには、第一に活性中心の立体構造を原子レベルで精密に決 定する必要がある。そのために最も有効な方法は]線結晶解析法であることは言う までもない。しかし、酵素の反応機構の研究のためには活性中心の構造を知ること が必要で、巨大な分子の全ての部分を詳細に決定することは必ずしも必要ではない。 また]線結晶解析法で通常到達できる程度の分解能(2.8〜3.0Å)で検出できる構 造の精度よりはるかに微小な立体構造変化が化学反応に大きく影響する。このよう に微細な構造変化とそれに伴う機能の変化の解析には種々の分光学的方法が不可欠 である。しかし、分光学的方法による解析を有効にするためには結晶構造解析によ る立体構造情報が必要である。このように分光学的方法と]線結晶学的研究方法と は単に相補的であるだけではなく、相互に刺激しあいながら進歩を促進する。また そうなって初めて、生理現象(タンパク質の機能)を原子レベルで考察することが できるようになる。ここで化学と生物学とが真に融合する。筆者は最近流行の「構 造生物学」とはこのような真の生物化学のことであると考えている。

 さて、]線結晶構造解析法によってタンバク質の立体構造を解明するためには、 タンパク質を結晶化しなければならない。結晶化はこの構造決定の中で方法の最も 確立していない、したがって最も予想の困難な段階である。タンパク質の結晶化条 件は、言うまでもなく、立体構造によって決まる。立体構造にはタンパク質の個性 が最も強く現れる。したがって、あるタンパク質の結晶化条件は他のタンパク質の 結晶化条件の探索にほとんど参考にならない。また、タンパク質の結晶化条件に影 響する要因は無数にある。したがって結晶化の試みを開始して翌日結晶が出るかも 知れないし、10年後でも何も成果は得られないかも知れない。タンパク質結晶化に 固有の困難さの一つは再現性の低さである。]線回折実験に利用できる程度の大き さの結晶は結晶化溶液から数えることができるほどしか析出しない。しかし、結晶 化溶液中に存在するタンパク質の数はモル(アボガドロ数の単位)で表示しなけれ ばならないほど多数ある。したがって結晶核形成は無限の中に起こる有限の事象で ある。化学反応としては起こる可能性のないことを追跡していると言えよう。した がって、再現性の低いことは当然と言える。一方、我が国の基礎科学の置かれた状 態と研究者の性向を考慮すると、膜タンパク質がこれまであまり結晶化されたこと がなかったのも不思議ではない。また、前述のように再現性が本質的に低いことは 成果の上がらないことの言いわけを可能にする。例えば、「タンパク質結晶化は科 学ではなくて芸術である。」と高言されている。このような発言者に科学と芸術の それぞれの定義を開いてみたいと常々筆者は思っている。

 結晶構造情報の重要性を認識することがなければ、結晶化は結晶学者まかせにな るであろう。しかし、結晶化条件の探索の際、最も重要なことは結晶化に用いる精 製標品の再現性である。ところが、結晶化の際に要求される再現性の程度は他の分 光学的、生化学的実験よりはるかに高い。このように考えると、結晶化する研究者 が自分で精製標品を調整することが結晶化の成功に不可欠の条件のように思われる。

2)ウシ心筋チトクロム酸化酵素の結晶化と界面活性剤の構造

 膜貫通型膜タンパク質は中央部分に疎水性の表面を持ち、両端が親水性になって いる。したがって、中央部が疎水性環境にあり、両端が覿水性環境にあるとき最も 安定になるように設計されていると考えられる。実際、膜クンパク質は水に溶けな いから、有機溶媒中で結晶化が試みられたこともあるようであるが、ほとんどの場 合覿水性部分があるため変性するようである。これまでに原子レベルの分解能での 立体構造が決定された膜タンパク質は数え方にもよるが十指に満たない。それらは ほとんど界面活性剤で可溶化されて膜から抽出された精製標品から得られた結晶を 用いて決定されている。これは上述のような膜タンパク質の安定性を反映している と言えよう。このように可溶化された膜タンパク質複合体が結晶化されるためには 膜クンパク質分子間に特異的な相互作用が存在することが必要である。このような 相互作用は覿水性表面間にしか生じないであろうと准走される。何故なら、疎水性 表面を覆う界面活性剤は、ミトコンドリア内膜に置き扱えられたものであるので特 異的に結合しているとは考えられない。したがってこのような界面活性剤はタンパ ク質分子間に特異的な相互作用を形成するとは考えられない。こう考えると、膜ク ンパク質を可溶化するための界面活性剤はなるべく小さく、また親水性部分はなる べく大きいほうが良いことになる。したがって、分子量の大きな相同タンパク質の ほうが構造の単純な小さい相同タンパク質より、親水性表面間の特異的な相互作用 が生じやすいと考えられる。この考えをさらに准し進めて、親水性部分に抗体を結 合させて結晶化することにMichelらは成功している。このように親水性部分の相互 作用が膜クンパク質の結晶化に最も重要であるとされている。しかし、ウシ心筋チ トクロム酸化酵素の結晶化条件に及ほす界面活性剤の構造の効果は、膜タンパク質 の結晶化機構は上述のように単純ではないことを示唆している。

 ウシ心筋チトクロム酸化酵素は種々の非イオン性界面活性剤で可溶化することが できる。特にアルキルポリオキシエチレン型の種々の界面活性剤は可溶化に適して いて、これまでに3種類の結晶が得られている。四角板状の結晶はオキシエチレン 単位が6個から23個のどのアルキルポリオキシエチレンで可溶化した標品からも析 出した。しかし、オキシエチレン単位が5個のときは安定な可溶化標品は得られた が、結晶化することはできなかった。六方両錘型結晶はオキシエチレン単位が7個 と8個のものから、四角柱状結晶はオキシエチレン単位23個のものからしか得られ なかった。注目すべきことはどの結晶もオキシエチレン鎖長に下限があることであ る。なお、これらのアルキルポリオキシエチレンの限界ミセル濃度はオキシエチレ ン鎖長にはほとんど依存せずアルキル鎖長によってほとんど決まる。例えば、アル キル鎖の炭素数が8個のとき限界ミセル濃度は約0.09mMであるが6個のときは約 0.9mMとなる。ところが、この限界ミセル濃度の差異は上述の三つの結晶化条件に ほとんど影響を与えなかった。実際炭素数6個の界面活性剤を用いたときには溶液 中に限界ミセル濃度以上の界面活性剤を加える必要があった以外はアルキル銀長は 結晶化条件にほとんど無関係であった。このことも限界ミセル濃度は結晶化条件に 影響しないことをはっきりと示している。したがって、上述の界面活性剤の構造の 結晶化条件への効果はオキシエチレン銀の長さの違いによるものであると結論でき る。この結果はこれら三種の結晶化には小さすぎる界面活性剤があることを示して いる。このことは上述の膜クンパク質結晶化の常識に反する結果と言える。

 四角枚状結晶はオキシエチレン単位が6個以上23個含まれているどの界面活性剤 で安定化した標品からも得られたが、他の2種の結晶を与える界面活性剤の種類の 数ははるかに少なかった。一方、これらの結晶の]線回折の分解能は界面活性剤の 構造に村する特異性の高いものほど高かった。これらの実験事実は疎水性表面に結 合している界面活性剤は拳に水溶液中の安定化(可溶化)に寄与するだけではなく、 結晶の安定化にも寄与していることを示唆している。

 膜クンパク質の可溶化には糖にアルキル銀がエーテルあるいはエステル結合して できた界面活性剤が用いられることが多い。ウシ心筋チトクロム酸化酵素もこのよ うな種類の界面活性剤で可溶化できるので結晶化を試みたところ、デシルマルトシ ドで安定化した標品から2.8Å分解能以上の高分解能の]線回折を示す結晶が得ら れた。この結晶の界面活性剤の構造に対する特異性は非常に高く、糖部分の構造は 勿論アルキル組長も炭素数が1個長くても短くてもこの結晶は析出しなかった。こ の結果は疎水性表面に結合しているこの界面活性剤の少なくとも一部は結晶の安定 化に“特異的”に寄与していることを示唆している。現在はこのデシルマルトシド より優れた界面活性剤は市販品の中では見出されていない。そこで現在市販されて いない界面活性剤を合成し、より優れた界面活性剤の探索を試みている。

 最近2.8Å分解能の]線回折能を示す結晶を与える酵素標品の純度を再結晶をく り返すことによって高めることにより、分解能を2.3Åまで高めることに成功した。 言うまでもなく、標品の純度も結晶化の重要な要因の一つである。一方結晶化は最 も優れた精製法であると言える。何故なら、結晶化はそのタンパク質の立体構造の 特異性を利用して行う純化法であるので、特異性が非常に高い。さらに、結晶化は 最も安定な立体構造をとっているクンパク質を選択的に取り込むことであるから、 変性効果が全くないと言える。その他の方法は何らかの応力をタンパク質分子にか ける必要があるので、しばしば変性効果がある。例えば、イオン交換クロマトグラ フィーではマトリックス表面の電荷分布や配置がクンパク質表面にある電荷の分布 配置と必ずしも一致していない。このような場合、タンパク質は何らかの応力を受 けつつマトリックスに吸着する。このことはイオン交挽クロマトグラフィーによっ てクンパク質を純化するときの収量が一般に非常に低いことにもあらわれている。 さらにウシ心筋チトクロム酸化酵素のように多種類のサブユニット(分子量50,000 〜5,000)から構成されている膜タンパク質の場合、変性を引き起こす可能性の高 い純化法はしばしばサブユニットを欠失させる。

 ウシ心筋チトクロム酸化酵素のように多数のサブユニットだけでなく、リン脂質 や種々の金属を含む膜タンパク質の組成を決定するためにも結晶化は極めて重要で ある。実際、結晶構造が決定されるよりずっと以前からKadenbachらはウシ心筋チ トクロム酸化酵素には13種のサブユニットが含まれていると主張してきた。それら が夾雑物でなく固有の成分であるという根拠は精製標品の再現性だけであった。し たがって、ウシ心筋チトクロム酸化酵素に13種のサブユニットが含まれているとい う主張は、反証があったわけではないが、信じ難いことと感じる研究者も多かった。 しかし、結晶化をくり返しても変化しない成分はそのタンパク質の固有の成分であ ることを強く示唆する。実際、チトクロム酸化酵素の金属組成も、再結晶をくり返 したときに組成がどのように変化するかを精密に分析することによって決定された。 しかし、サブユニット組成に関しては低分子量のサブユニットの検出が困難である ため、「13個の異なるサブユニットが含まれている。」と自信を持って言うために は2.8Å分解能の結晶構造不可欠であった。

 タンパク質の立体構造は熱力学的に最も安定な構造として一次構造が規定してい るというAnfinsenの説を信じるなら、結晶中のタンパク質の立体構造こそ細胞中で 機能し得る熱力学的に安定なものであると言える。生理的環境では安定性にそれほ ど大きな差のないいくつかの立体構造が共存し、熱力学的平衡状態にあることが多 い。そのように幾つかの立体構造が共存していることが生理的に重要であると考え られる。例えば、CO化型ミオグロビンの]線結晶構造は初期には1つしか見出さ れていなかった。その立体構造にはCOの出入することのできる通路は見られない。 一方、CO化ミオグロビンの赤外分光学的研究によってヘムに結合しているCOは少 なくとも四つの配位構造の平衡状態であることが知られている。]線結晶構造の分 解能が十分に高くなければ、そのいくつかの構造のうち最も安定で分布の高いもの だけが検出される。COイヒ型ミオグロビンの場合最も安定な構造の分布は他の三つ の立体構造よりはるかに高いので分解能が不十分な場合はそれしか検出されないと 考えられる。事実、最近1.0Å以上の分解能での立体構造には赤外分光学的結果と 比較することができる程度にいくつかの立体構造が検出されている。なお、赤外分 光法は溶液中のミオグロビンにも結晶中のミオグロビンにも適用できる。ミオグロ ビンに結合したCOの伸縮振動スペクトルは結晶と溶液とで見かけ上はっきりと異 なっている。しかし、それぞれのスペクトルは対杯な四つのスペクトルに分割する ことができる。結晶と溶液のスペクトルの違いは分割されたスペクトルの極大吸収 の波数にも半値幅によるのではなく、それぞれの分割されたスペクトルの強度比に よるのであることが知られている。この結果は可逆的平衡状態にある四つの立体構 造の相対分布が、結晶中ではタンパク質分子間の相互作用が水溶液中よりもはるか に強いし、異方性もあるため水溶液中と異なることを示している。したがって、水 溶液中で分布の最も高い立体構造ではなく分布の低い立体構造が結晶中では大勢を 占めたとき、]線回折の分解能が十分に高くなければ水溶液中では分布の低い立体 構造を与える可能性がある。しかし、その構造もたしかに水溶中では大勢を占めて はいないにしても存在し、生理的な役割を持っている立体構造であるので、その構 造を決定することはそのクンパク質の機能の理解に不可欠である。またミオグロビ ンの例でも明らかなように、COの脱着のような生理的過程に直接関与する立体構 造は、一種の活性化された状態であると考えられるので、必要なときだけその立体 構造をとると考えられる。それならば、そのような立体構造はむしろ分布の低い立 体構造であると考えられる。事実、ミオグロビンやヘモグロビンでは数%程度の分 布しかない立体構造こそが配位子の脱着に直接関与していると考えられている。こ のようなことはミオグロビンやヘモグロビンについては15年以上前から知られてい たことであるが、意外に知る人が少なく、結晶構造解析で得られた構造が水溶液中 でのタンパク質の生理機能にどのように役に立つのかという質問が今でも提出され ることがある。また、結晶構造が溶液中の構造と異なっていることを示唆する結果 を得て、「結晶構造は全能でない!」と鬼の首でもとったように主張されることも ある。そのようなとき一種の脱力感に襲われるのは筆者だけであろうか。

3)ウシ心筋チトクロム酸化酵素の立体構造解析

 デシルマルトシドで可溶化したウシ心筋チトクロム酸化酵素の立体構造は結晶化 条件が確立してから10ケ月程度で2.8Å分解能で決定された。その後結晶化条件の 最適化と]線回折実験法の改良の結果、すでに2.3Å分解能の立体構造が決定され ている。その結果、これまでの生化学的、分光学的研究から全く予想されていなか った構造が多数発見され、この酵素の反応機構の理解を深めると同時に新しい問題 点を提出している。

13種のサブユニットのうち最も大きな3個のサブユニットはミトコンドリアの遺 伝子にコードされ、他の10個は核の遺伝子にコードされている。3個のミトコンド リアサブユニットが中心になり、他の10個がその周りを取り囲んでいる。チトクロ ム酸化酵素の機能のためには核にコードされた2つのサブユニットだけで十分であ ることは結晶構造が解明されるずっと以前に知られていた。それならその他の11個 はどのような役割を持っているのであろうか。結晶構造を知ることはそれらの役割 を解明するための出発点と言えよう。

 結晶構造が解明されるより前に遺伝子工学的方法(部位特異的変異)によって亜 鉛以外の金属中心に配位しているアミノ酸残基が堆定されていた。またアミノ酸配 列に基づいてヘリックスの領域と方向も准定され、金属中心の分子間での位置も准 定されていた。結晶構造はこのような遺伝子工学的堆定の驚くべき有効性を証明し た。例えば、heme a、heme a3 およびCuBの配位子は完全に正確に予想されていた。 しかし、これらの准定はあくまで准定である。このような経験的結果は非経験的な 実験事実によって、この場合のように検証されなければならない。結晶構造解析に よる立体構造の堆走とはこの点に大きな違いがある。この認識の甘さが、現在の生 命科学研究の魅力を大きく損なうような研究の流行を許しているのではないかと感 じられる。さらに、遺伝子工学的方法だけでは反応機構を原子の空間的配置にもと づいて考察することを可能にするような精度で構造を決定することは不可能である。 実際、基質と酵素触媒部位との距離が0.1Å変化しても触媒部位での反応性に大き く影響する可能性がある。ともかく、研究の成果を知的好奇心にもとづいて評価す ることができないと、公表された学術雑誌の知名度や欧米での流行にもとづいて評 価せることになる。これは評価とは言えない。

 結晶構造解析によって得られる構造情報には他のどんな方法によっても得られな いものが多い。例えば、heme a や heme a3のヘム面の、タンパク質分子内での方向、 特にプロピオン酸基や長鎖アルキル基の結合しているピロールがそれぞれ細胞質側 を向いているのか、マトリックス側を向いているのかを2.8Å分解能の結晶構造の 精度で決定する方法が他にあるであろうか。またピロールに結合している長鎖アル キル基の立体配置を他の方法で決定することはまず不可能であろう。

4) O2還元機構

 結晶構造が解明されるよりずっと以前からO2の結合部位であるheme a3の近傍に 鋼イオン(CuB)が存在することが知られており、この鋼イオンがα還元に重要な 役割を持っていることが示唆されていた。02(三重項酸素)は1電子還元は受けにくいが2電子還元は非常に受けやすい化学的性質を持っている。したがってO2 を効率よく還元するためには、2電子を同時に供与することが必要である。heme a3 近傍のCuBは第2の電子供与体となることができる。このようにして、チトクロ ム酸化酵素はO2を活性化すると考えられてきた。この機構は極めて明解であるの で、実験的根拠はなかったが、広く受け入れられ、この分野の常識のようになって しまった。heme a3 の鉄(Fea3)とCuBとの距離は5Å以下であると種々の分光学的 方法によって准定されていたので、Fea3とCuBにO2は架橋配位すると考えられる。 もしそうであるならば、この酵素によるO2のO22−への遠元速度はピコ秒の次限にな ると考えられる。なぜなら、この反応は2Å程度の距離の電子伝達に律速されてい ると考えられるからである。したがってこのようにO2結合型の寿命は、02がタン パク質外部からFea3へ到達するよりはるかに短いのでそれを検出することは不可能 であると推定される。しかし、全く予想に反して、O2化型が時間分割共鳴ラマン 分光法によって検出され、寿命が0.1ミリ秒と予想より5桁ほど遅いことが示され た。このように反応が遅い原因はO2還元中心の立体構造が解明されてはじめて明 らかにされた。チトクロム酸化酵素は還元型のときO2を受容する。その還元型酵 素のCuBは三つのヒスチジンイミダゾールだけを配位子としていた。また、配位し ているイミダゾールの窒素原子の作る三角形のほぼ中心にCuBは位置していた。こ のような平面三角形型のCul+錯体は極めて安定であることが知られている。したが つてCuBl+がFea3に結合したO2の一方を第4の配位子として受容することもO2へ電 子を供与することも困難であると考えられる。このCuB1+の安定性がFea3−O2の異常 な寿命の長さを誘起していると考えられる。また、2.35Å分解能の結晶構造はCuB に配位しているイミダゾールの1つと近傍にあるチロシン(Tyr244)とが共有結合 で繋がっていることを示している。このようにしてイミダゾールはチロシンをα 結合部位の近傍に引き寄せて、その水酸基がFea3に結合した02と水素結合を形成し てO2化型を安定化することができる位置に固定する。またこのTyr241は水素結合の ネットワークでマトリックス側に繋がっているので、水素イオンをマトリックス側 から取り込むことができる。さらにこのチロシンの水酸基の酸性度はイミダゾール との共有結合を形成することによって相当に高まると准定される。したがって、 Tyr244は水を作るためのHの供与体として機能すると考えられる。さて、Fea3に 結合したαがTyr244と水素結合するならば、022−形成に必要な第2の電子はどこか ら来るのであろうか。CuB1+からイミダゾールチロシンと経由し、O2へ伝達される 可能性は否定できない。しかし、結晶構造はheme aがheme a3 に非常に近接している ことを示している。またO2還元とheme a の酸化が共役していることが生化学的およ び共鳴ラマン分光学的研究によって明らかにされている。したがって第2の電子は CuBからではなくhem6aから供与されるとも考えられる。どちらから来るにしても 2電子還元中間体はFe3+−O-O-Hであると准定される。これまでは上述のように Fe3+-O-O-Cuが中間体と予測されていたがこのような中間体は結晶構造が解明され るまで予想されていなかったことを強調したい。

5)水素イオン能動輸送機構

 水素イオン能動輸送部位であるための条件は以下の通りである。1)酸化還元に 共役してpKを変化させる酸性基であること。2)その酸性基はマトリックス側か 細胞質側のどちらか一方にだけ、ある酸化状態のとき露出しているか水素イオンを 放出することができるが別の酸化状態のときには他方の側にだけ実質的に接触して いて、水素イオンを取り込むことができること。チトクロム酸化酵素の酸化型と還 元型の立体構造を比較すると、鮎p51を含む5残基のセグメントが4Åほど還元に よって細胞質側へ移動することが認められた。この鮎p51は酸化型のときはタンパ ク質内部に完全に埋まっていて水層に全く接触していない。しかし、還元型では分 子表面を構成し、細胞質側の水と接触するようになる。一方酸化型のときAsp51は マトリックス側に水素結合のネットワークで繋がっていることが認められた。しか し、還元されるとこの鮎p51はネットワークから離脱し、マトリックス側とのつな がりは失われ、細胞質の水層と接触するようになる。Asp51のpKは酸化型のときは クンパク質内部に埋まっているため、相当高いためマトリックス側から、水素イオ ンを効率よく取り込むことができる。しかし、還元型では細胞質側の水層に接触し ているため、PKは水溶申それと同程度であろうと堆定できる。このような酸化還 元に伴う立体構造変化は、酸化型のとき水素イオンをマトリックス側から取り込み、 還元されたときそれを細胞質側へ放出することを強く示唆している。この鮎p51も それにつながる水素結合のネットワークも直接に酸素結合部位と接していない。し たがって、Fea3とCuBの間で起こるα還元反応との共役機構は現在の分解能では明 らかではない。しかし、このように水素イオンの能動輸送とαの還元反応とを別 の部位で進行させることは水を作るのに利用される水素イオンと能動輸送される水 素イオンとを完全に区別するために必要であると考えられる。  以上、現在得られている結晶構造にもとづいてチトクロム酸化酵素の反応機構に っいて考察した。結晶構造解析はあくまで静的な状態の構造を解明するものであっ て、タンパク質の機能している現場を観察しているわけではない。したがって結晶 構造は可能な反応機構を示唆するに過ぎない。しかし、本研究で得られた示唆はほ とんどがこれまで全く予想されていなかったことなので、この分野の多くの研究者 には受け入れ難いものが多い。しかし、これらの示唆を否定しようとする研究にせ ょ、証明しようとする研究にせよ、これらの示唆がこの分野の種々の研究をさらに 促進することが期待される。

 上記の結晶構造解析は大阪大学蛋白質研究所月原教授グループとの共同研究によ るものであり、]線回折実験は高エネルギー物理学研究所放射光研究施設で行われ た。最後になりましたが]線回折実験について坂部数授グループの方々から一方な らぬ御助力を賜ったこと深く感謝します。


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