構造生物 Vol.5 No.2
¶1999年9月発行

タンパク質結晶構造解析ビームライン用回転傾斜集光分光器の開発


渡邉信久、鈴木守、東保男、*坂部知平

高エネルギー加速器研究機構、*国際科学振興財団

1 はじめに

第2世代の放射光施設のタンパク質結晶構造解析用ビームラインでは、放射光X線を単色化し、かつ集光するためにシリコンやゲルマニウムの単結晶を用いた非対称三角結晶湾曲分光器[2]が使用されている場合が多い。このタイプの分光器は、放射光の白色X線を分光して単色化すると同時に、非対称反射を利用してビームを圧縮し、さらに結晶を湾曲することによりビームを集光している。放射光研究施設(PF)でも、BL6Aではこのタイプの分光器を使用している。しかし、この分光器では、分光されたX線ビームの圧縮率は常に一定であるわけではなく、ビームと結晶表面とのなす角度と圧縮率との間に非対称因子 b で示される関係

がある[3]。ここで、θBはブラッグ角、αは反射面と結晶表面のなす角度すなわち非対称角である。このため、この非対称三角結晶湾曲分光器では波長を変更するために結晶を回転すると非対称因子 b すなわちビームの圧縮率がθBにつれて変化してしまうことになる。一方で湾曲結晶分光器をもっとも工ネルギー分解能の良い条件で使うためには、光源と集光点がローランンド円上にあることが望ましく、光源から分光器までの距離 p および分光器から集光位置までの距離 q

すなわち

の関係にあることが必要である。ここで R がローランド円の直径である。従って広い波長範囲にわたって非対称三角結晶湾曲分光器を使用するためには、異なる非対称角αの結晶をいくつも用意しておいて、それらを適宜交換して使用する必要が生じてしまう。

これに対してFankuhen型分光器を方位角の回転によって回転(回転傾斜分光器)させれば非対称角αを変化させることが出来るため(式(10)参照)、広い波長範囲にわたってビーム圧縮率を維持して使用することが出来る。しかし、この分光器は結晶面が平面であるためビームを集光することが出来ない。集光能をもたせるためには、分光結晶を以下の式で与えられる曲率半径R

で湾曲させればよい。

今回我々は、この考え方にもとづき、結晶表面を円筒状に湾曲させることで、回転傾斜分光器にさらに任意の波長での集光能力をもたせることを可能にした新しい分光器を開発した。この分光器は非対称因子 b すなわちビームの圧縮率と結晶の曲率半径 R を結晶の方位角l軸のみの回転で調整できるという優れた特徴を持っている。

2 理論的背景

上述したように回転傾斜分光器にさらに集光能力を持たせることで、2つのパラメーター、すなわち非対称角αおよび曲率半径Rを同時に調整することを実現した。図1に示すように方位角φの原点を回転傾斜分光器の最大の非対称角α0を与える方向にとり、結晶表面の傾斜方向と円筒の湾曲方向との間のオフセット角をψとする。このオフセット角は2つのパラメーター

R とαを方位角φの回転のみで同時に最適な条件にするために必要である。この場合、ある角度φでの曲率半径 R は図2から分かるように、半径φ円筒をφだけ傾いた平面で切ることを考えれば簡単に求めることが出来る。この断面の楕円は

で与えられる。従って、任意の角度での曲率半径は、

となる。分光結晶のビームに対して平行な方向、すなわちX線が感じる曲率は、図から分かるようにv=0での曲率に相当する。従って、図1で定義したオフセット角ψを考慮すると、曲率半径 R は以下の式で与えられる。

また任意の角度φでの非対称角αは、図3に示すように、x-y 平面からα0度だけ傾いた平面を考えると容易に計算できる。図から分かるように、任意の角度φでの高さzはで

与えられる。従って、方位角φと非対称角αの関係は

で与えられる。

3 実際のデザインとテスト

この分光器のテストは放射光研究施設のTARAビームラインBL6Bで行った。BL6Bは光源から19.5mの位置に白金コートされた湾曲平板シリコンミラーがあり垂直方向の集光はこのミラーで行っている。分光器は光源から23.0mに設置されている。このミラーおよび分光器のデザイン上の集光位置は24.38mである。従ってこのビームラインで集光に最適な非対称因子 b は式(4)から分かるように16.7である。このわに対して、任意の波長での理論的な非対称角αは式(1)から計算される。図1に定義した分光器のデザインに必要な3つのパラメーターαoおよびφと1ふ0は0.87Å(Kr K吸収端)から1.90Å(Mn K吸収端)の問で非対称角αおよび曲率半径 R を近似出来るように最適化した。この波長範囲はシリコン(111)の場合、ブラッグ角では8.0度から17.6に対応している。こうして決定したBL6Bの分光器のパラメーターはα0=19.7°、ψ=20.9°、R0=37.9mである。図4に上記波長範囲でこの値を用いて計算したαと R の関係を示す。

この図に示され下いるように、この分光器は広い波長範囲にわたって、方位角φ軸のみの回転で非対称角αと曲率半径 R を同時に最適値に調整することが出来る。テストした3つの波長でのαおよび R とφの計算値を表1に示す。この分光器の円筒面が近似する曲率半径 R と幾何学的に集光に最適な半径Roptの間のエラー(は3つの波長とも1%以下である。

銅ブロックの半径37.9mの円筒曲面は、工作センターの東らの超精密加工技術[4]によって製作した。分光結晶の1mm厚シリコンウェハーは、5インチのインゴットから(111)面に対して19.7°の角度で切り出し、メカノケミカルエッチンングで表面を仕上げた。シリコン結晶を銅ブロックの円筒面に沿って湾曲させ、円筒曲面とするため、シリコンウェハーは鉱物油(ALDRICH 16,140-3)で貼り付け、大気圧で押し付けて固定した。図5に結晶の貼付いた銅ブロックの写真を示す。

図5:銅ブロックに結晶が貼りついた分光器の写真。

また、BL6Bの分光器のゴニオ部分の模式図を図6に示す。分光器のアークゴニオはブラッグ反射面をφ軸と垂直にするために使用する。BL6Cのビームパイプとの干渉を避けるため、分光結晶はBL6A側から抱き込むような形でゴニオにマウントされている。

4 テスト結果およびその評価

分光器の性能テストは1.07,1.38,1.74Åの3波長で行った。テストの際はBL6Bのスリットは水平方向1.0mradの解放とした。任意の波長で集光して用いるには、以下の手順に従って調整を行う。まず分光器を(111)面に平行な6軸で回転し希望する波長に設定する。次にφ軸を回転し非対称角αおよび曲率半径 R を同時に調整して、ビームの圧縮と集光を行う。φ軸回転にともなって、ビームが圧縮・集光されていく様子をイメージングプレート[5]に記録したものを図7に示す。

この図は1.38Åの時のものであり、撮影の際には6mmのアルミ板をアッテネータとして使用している。また、各波長での水平方向の集光ビームのプロファイルは集光位置で0.2mmスリットの水平スキャンを行って測定した。結果を図8に示す。

比較のため、レイトレース[6]で計算したプロファイルも示してある。図に示されているように、3波長すべてでφ軸回転のみで、水平方向の半値全幅で0.8mm以下の良く圧縮・集光されたビームが得られた。今回開発した分光器は、このようにただ1枚の結晶で広い波長範囲をカバーすることができ、これまで使用してきた非対称三角結晶湾曲分光器のように異なった非対称角αを持つ結晶を数個準備して、波長毎にそれらを交換して使用する必要が全くない。図9にBL6B用に3枚の異なる非対称角の結晶を用意した場合の波長による非対称因子の変化を示す。

BL6Bの場合は b =16.7が最適であるが、図から明らかなように非対称三角結晶湾曲分光器、の場合には3枚用意しても、その付近の b で使用出来る範囲は極めて狭い。また、BL6A等では、短時間の測定のために結晶を交換することが現実的でないため、通常は、ある波長で最適な非対称角の結晶で他の波長でもそのまま使用している。そうした場合に無理に集光して使用しようとすると、分光器の波長分解能を落としてしまうことになる。表2に、回転傾斜集光分光器と非対称角8.73度の非対称三角結晶湾曲分光器をそのまま他の波長でも集光を優先して使用した場合の波長分解能の比較を示す。

後者の場合は非対称角に最適な波長(この場合は1.07Å)から外れると、分解能が悪化するが、回転傾斜集光分光器の場合は、あらゆる波長で分解能を維持できていることが分かる。

PFのタンパク質結晶学用ビームラインでは、検出器上での回折斑点の大きさを制限したり、試料結晶の大きさとの整合性や余計なバックグラウンドノイズの軽減のために0.1ないし0.2mmのコリメーターを使用している。つまり、これよりも大きいビームはコリメーターに遮断されて結局無駄になっている。従って、BL6Aのような中程度のエミッタンスのリングの偏向電磁石ビームラインでは試料結晶に強いX線を照射するためにはビームラインの光学系が十分な集光能を持つことが重要である。

ところで、図8にみられるように、この分光器による集光ビームのプロファイルには非対称性がみられる。これは、主として結晶を銅の円筒ベースに貼付けるときの不完全さによる曲面の不均一性によるものと考えている。現在までに色々試した中では鉱物油がもっとも良い貼付け結果が得られた。分光結晶の貼付けに一般的に使用されているIn-Gaは、厚さの不均一性が結晶の円筒形状に悪影響をあたえて非常にビーム形状が悪くなり、使用出来なかった。表2に示すように、この分光器は貼付け方法を改良して均一な円筒曲面を形成することができれば、非常に高い波長分解能の分光器となる。また、今後この分光器をPF-ARの挿入光源のビームライン等高熱負荷のビームラインで使用する可能性も考えると、より熱接触の良く、しかもX線に対しても安定な貼付け方法の開発が必要であり、現在さらに開発をすすめている。

なお、この分光器は水平分散型として使用出来るため、現在国内各地に計画されている比較的コンパクトな放射光リングのようにビームラインの建設スペースに空問的な制限がある場合にも有効であると考えている。

銅ブロックの円筒面の超精密加工に関しては高エネルギー加速器研究機構工作センターの高富さんにお世話になった。また、この開発研究は学振の末来開拓研究JSPS-RFTF96R14501の補助を得て行われた。

参考文献

[1] Watanabe, N.,Suzuki, M., Higashi, Y. & Sakabe, N. (1999) J. Synchrotron Rad., 6, 64-68.
[2] Lemonnier, M., Fourme, R., Reusseaux, F. & Kahn, R. (1978) Nucl. Instrum. Methods, 152, 173-177.
[3] Kohra, K., Ando, M., Matsushita, T., & Hashizume, H. (1978) Nucl Instrum. Methods, 152, 161-166.
[4] Higashi, Y., Koike, S., Takatonu T & Kolzurm S (1992) SPIE 1720 44-49 .
[5] Miyahara, J., Takahashi, K., Amemiya, Y., Kamiya, N. & Satow, Y. (1986) Nucl. Instrum. Methods, A246, 572-578.
[6] Takeshita, K., (1995) Rev. Sci. Instrum., 66, 2238-2240.


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